【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

南スーダンの子どもたち

[世界難民の日]に寄せて: 2年半前の昔話|南スーダン

大分前に、国際協力に携わる先輩たちと話していたとき、「やっぱり最初の赴任地は思い入れが深い」という話題になった。初めての赴任地は、比べる対象もない上に、日本を離れて初めて自分の足で途上国を歩む経験は、確かに新鮮だし、毎日が想定外なのだと思う...

現地の方たちと大井スタッフ

[世界難民の日]に寄せて:「だってそこは僕の国だから」

今から4年前、当時パレスチナのヨルダン川西岸地区に滞在していた私は、初めて「難民キャンプ」に足を踏み入れました 。 その時にいちばん驚いたことは、そこはすでに「キャンプ」ではなく、避難してきた人々が密集したスラム街のようだったことです。戦闘...

ワールド・ビジョン・ジャパンが設置した浄水装置の使い方を見せるポール・オットー

[世界難民の日]に寄せて:南スーダン -最前線で働く同僚との別れ

先日、南スーダンの現場からの突然の知らせに驚いた。 南スーダンでこれまで10年近く働いてきたウガンダ出身のエンジニアの同僚、ポール・オットーが今月7月末で仕事を終え、故郷に戻る。私は、2007年から2010年の3年間、アッパーナイル州でポー...

Mariko Kinai (WVJ deputy ND) talking to the disaster victims at Mashiki Public Gymnasium (20170417)

助けられながら支援する。

4月17日(日)。熊本市内に着いたときはすでに夕暮れ時だった。 熊本空港が閉鎖になったので福岡からレンタカーで一路南下。ひどい渋滞だった。 目指していたのは益城町の総合体育館。 総合体育館の運営管理をしているYMCAの方とは、団体の同僚が1...

避難先から故郷へ戻るアフガニスタンの人々(2002年)

[世界難民の日]に寄せて:ハイダリじいさんのおすそ分け

今から10年ほど前、アフガニスタンで働いていたときのこと。ハイダリさんという名の、初老の同僚がいた。小柄で真っ白いひげを顎にたくわえ、顔には深い皺が刻まれていたけれど、偉ぶらずいつも明るく前向きだった彼は、若いスタッフからも慕われていた。 ...

事前調査時の子ども (学校がないため、やることがなく児童労働に駆り出されている子どももいました)

草むらからの学校づくり~難民の子どもたちにも教育を

私は出張で、再びエチオピアの南スーダン難民キャンプの学校を訪れた。生徒が一生懸命勉強している姿を見て少し感慨にふけってしまった。 2013年12月、南スーダン危機が起き、20万人を超える難民が隣国のエチオピアに避難した。 私が事前調査で現場...

食料配布の様子を柵越しに見守るシリア難民の子どもたち

シリア難民の暮らす町 故郷離れ3年「生活変えたいが・・・」

「シリアからヨルダンに来て3年、もうこんな生活はうんざり。どうにかして生活を変えたいと思っているのに…」マンスーラと名乗る女性は泣き出した。ヨルダン北部、シリアとの国境に近いイルビドという町で、シリア難民が身を寄せる住居を訪れた時の出来事だ...

アフガニスタンスタッフ来日時の様子(筆者左)

「今、私にできること」 ~取り残される脆弱国・紛争影響国への支援~

皆さま、こんにちは。今年1月にワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)に入団いたしました、緊急人道支援課の大井光一です。本日は緊急人道支援課が特に力を入れ始めている脆弱国・紛争影響国への支援について紹介させていただきます。 WVJによる支援の...

ケニアの支援地の子どもたちと筆者(左)

「今、私にできること」~一人でも多くの子どもの”I love my life!”のために~

皆さま、こんにちは。谷村美能里と申します。 マーケティング第2部で、主に、企業の皆さまとの連携・協働を担当しております。 さて、いきなり個人的なお話で恐縮ですが…。 私には小学3年生の娘がいるのですが、彼女が通っている英語教室の宿題のひとつ...

右側のニャウアルが手に持っているのが、食糧を受け取るための引換券

南スーダンの人々に食糧と栄養を!

2015年10月22日。この日の南スーダン・ジュバUNハウス内の国内避難民キャンプでは、いつものようにさんさんと照る太陽は見当たらず、小雨から大粒の雨へ変わり、一度止んだと思ったらまた降り出す、その繰り返しでした。雨が降っている間は、食糧が...

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