今から4年前、当時パレスチナのヨルダン川西岸地区に滞在していた私は、初めて「難民キャンプ」に足を踏み入れました 。
その時にいちばん驚いたことは、そこはすでに「キャンプ」ではなく、避難してきた人々が密集したスラム街のようだったことです。戦闘から60年以上が経過し、キャンプと呼ばれた場所は人々の定住場所へと移り変わっていました。そのとき私は、紛争が解決されず自分の故郷へ帰れない難民のことを思い、紛争は絶対に長期化させてはならないのだと強く思わされました。
現在、エチオピアへ避難した南スーダン難民支援を担当していますが、仕事をしている中でも、やはり帰還のタイミングについて常に悩まされています。難民の滞在が長期化するにつれて、緊急期の支援から長期化を見越した支援へと、活動をシフトしていかなければなりません。
しかし、緊急期には世界中から資金や支援団体が集まり、多くの人々に支援を提供することができる一方、避難生活が長期化するにつれて活動資金が集まりにくくなり、多くの支援団体がキャンプを去らなければならない事態が起こっています。
残念なことに、2014年の世界全体の難民の中で、帰還することができた人々は10%もいませんでした 。帰還民の数は毎年減少していて、多くの人々が数十年単位の避難生活を余儀なくされています。
エチオピアに避難してきた南スーダン難民 の避難生活も3年目を迎え、多くの支援団体が事業地を去ってしまいました。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパンは引き続き教育支援事業を実施しています。
先日の出張時、1人の高校生ぐらいの男の子にキャンプで出会いました。
「もちろん自分の国に戻りたいよ。だってそこは僕の国だから。」
その男の子は私にそう話してくれました。学校での授業が終わった後には、生徒たちが南スーダン国歌を歌っている様子も見かけ、子どもたちがいかに自分の国に戻りたいのかを垣間見ました。
多くの紛争が長期化している中、南スーダンでの内戦も早期に終結し、難民の子どもたちの滞在が長期に及ばないことを願ってやみません。難民の子どもたちが、長引く自国の紛争に対して知恵を持って対応していくことができるように、また、来るべき帰還の後にはその知恵を国の復興へと用いることができるように、引き続き、少しでも多くの子どもたちに適切な教育を提供していきたい。世界難民の日を前に、そのように思っています。
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6月20日は世界難民の日。
約5,950万人もの人々が、紛争や迫害により故郷を追われ、厳しい環境で生きています。
今、彼らのことを知ってください。
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この記事を書いた人
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早稲田大学法学部卒業。
エルサレム・ヘブライ大学法学修士(国際法・人権)修了。
国際人道法を中心に学ぶ。難民支援機関でのインターンを経て2015年1月に入団。2018年4月からウガンダに駐在し、南スーダン難民支援を担当。2019年3月退団。
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