同僚が結婚することになり、職場のスタッフ全員に宛てた招待状が届いた。
スリランカの結婚式!着任早々、結婚式に招かれた幸運に喜んだものの、さて問題は服装だ。
手持ちの服は仕事着ばかりで、おしゃれ着など1着もない。これはついに今まで気になっていた民族衣装デビューのチャンス到来ではあるまいか。
職場のスリランカ人女性スタッフらに相談し、私以上に盛り上がった彼女たちのアドバイス通り、早速次の週末に町の布地屋で生地を買い、仕立て屋でシャルワルと呼ばれる民族衣装を作ってもらった。衣装にマッチする色でアクセサリーも選んだ。これですっかり出席準備完了である。
いよいよ結婚式当日の土曜日の朝。
スタッフみんなで車に分乗し、1時間半ほどの隣県にある教会へと向かった。スリランカの主流はお見合い結婚だそうだが、今回の新郎新婦は恋愛結婚である。実は勤務地こそ違うものの、二人ともワールド・ビジョンのスタッフで、仕事で知り合ったのだそうだ。
会場はワウニアではちょっとお目にかからない古く趣のあるカトリック教会。新郎の出身地で、クリスチャンが多い地域なのだそうだ。
スーツ姿の花婿、白いウエディングドレス姿の花嫁が、揃いの衣装を着た子どもたちに先導されて入場し、厳かに式は始まった。指輪の交換や誓いの言葉の他にも、何やらいろいろな儀式がある。
1時間ほどで式は終了し、教会から出てきた新郎新婦のこぼれるような幸せそうな笑顔は青空に映えてとても美しかった。
教会を出て、一同は公民館のような披露宴会場に移動した。
入り口で額に粉をつけてもらい、蓑のようなカゴから乾燥豆が混じった細かな氷砂糖をひとつまみほどとって口に含む。
会場の中は劇場のようになっていて、ステージと200席ほどの客席がある。新郎新婦はステージの上にいて、カメラマンを前にいろいろポーズをとっている。
どうやら結婚アルバム作成用の写真タイムらしい。
その間、招待客は客席やら、庭のベンチやら思い思いのところで、知り合いを見つけておしゃべりに興じている。会場係が忙しそうにコーラを招待客に配り歩いていた。
やがてこれからお色直しで花嫁が身に付けるという赤いサリーが回ってきた。招待客は順番に手を触れて祝福する。
それがすむと新郎新婦は退場し、人々はぞろぞろと移動し始めた。
食事タイムなのだそうだ。隣の部屋は社員食堂のように長テーブルと椅子があり、みな給仕口から1皿ずつとって思い思いに席について、食べ始める。デザートはカップ・アイスクリームだ。
招待客の食事が終わった頃、お色直しを終えた新郎新婦がステージに戻ってきた。 これから親戚や友達、同僚など各グループが順番にステージに上がって、新郎新婦と写真を撮るのだ。
この時にプレゼントやご祝儀を渡すので、新郎新婦の後ろのソファはプレゼントの箱が山積みになっていた。
私たちもみんなでお金を集めて買ったお祝いの電気ポットを渡し、同僚みんなで仲良く写真に納まった。ステージから降りる時に一人一人にきれいにラッピングされたフルーツケーキが一切れずつ手渡された。
これで結婚式は終了。ステージから降りると、皆バラバラと帰っていく。教会での式を含めても3時間程度だ。
この間まで住んでいたベネズエラでは、結婚式といえば夜8時頃から始まり、ビールを飲みながら朝まで踊り明かすという、いかにもラテンなものだったので、スリランカの結婚式はとても慎ましやかに見える。
写真に撮ると一見豪華に見えるのだが、これは一生に一度の晴れ姿を記念に残すために工夫されているから。実際は日本人の目にはとても質素でちょっとビックリしてしまったくらいなのだ。
披露宴会場は最初廃屋かと思ったし、食事は町の食堂で出てくるものより質素だ。しかし内戦時のように徴兵を回避するための結婚ではなく(未婚の男性が徴兵の対象となったため)、心からその結婚を祝福できるのは何と幸せなことだろう。
2、3日ほど国内のビーチに新婚旅行に行った後、同僚である花婿はまた元気に職場に戻ってきた。当分は週末だけ一緒に暮らせる「週末婚」だ。
緊急人道支援という性格上、家族を帯同して安心して暮らすには不向きな場所で働くのは宿命のようなもので、実際多くのスタッフは単身赴任なのだが、新婚早々の別居生活は何だか気の毒な気がしてしまう。
彼も、その他の単身赴任スタッフもそれを苦にする様子は少しも見せないが、金曜日になると皆、いそいそと家族が待つ家へと帰って行く。
その後ろ姿を見送りながら、早くここでもスタッフが皆、家族と一緒に安心して暮らせるようになることを心から願った。
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