【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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「”何か”はきっとできる」に込める想い

思えば2年前、自分はこのスタッフブログを読んでいた。転職希望先だったワールド・ビジョンへの応募を考えるにあたって、どんな人が働いているのか? を知る貴重な情報源だったのである。色々なブログ記事を読みながら、①心の優しそうな人がとても多い、でも、②相当に変な(オモシロイ)人も多い という、2つの雑な分析をしたのを覚えている。この分析については、実際その通りだったことを踏まえれば、スタッフブログはやっぱり大事な対外広報として機能しているのだろうと思う。

どんな組織や団体も、中に入ってみなければわからないことは多い。特に、規模や性格が多種多様を極めるNGOなどという職種であれば、尚更である。NGO自体も変化を続けている時代に、内側からのかしこまらない情報は、思いのほか貴重だったりする。そんな思いで、この「国際協力」団体は一体どんな人が、どんな気持ちで働いているのか、過去の自分に届けるようなつもりで綴ってみたい。

矢印は一つではない

国際協力NGOの仕事というと、一般にそのスタッフは、社会貢献とか、人助けに懸けているイメージがある。その絵は、端的に言って一方向的である。世界地図があるとすれば、日本から、途上国・災害や紛争地の現場に向かって矢印が伸びている。援助や支援が、日本から、現地に向かっていく、そんなイメージである。さらに、誤解を恐れずに言えば、その矢印の中で働くスタッフは、必然的に「良いことをしている人」に見える。社会には、これをキラキラした「尊い働き」と表現してくださる方がいる一方で、自己犠牲精神と人助けに生きがいを見つけている、少しヒロイズムに傾いた人たち、とシニカルな批判の声を聞くこともある。

きっと、どちらにも少しばかりの真実はあるのだろう。自分の仕事の意義を大袈裟に褒められて良い気になる瞬間もあれば、自分たちの非力さを覚えながらも「支援」を語る傲慢さに落ち込む時だってある。ただし、この2つの見方は、どちらも国際協力という仕事の表層的な理解から生じている、やや両極端すぎる視点だろう。そして、国際協力に向けられる働きを無批判に礼賛することも、偽善的だとして一蹴することも、(先に述べたような)一方向的な矢印からなる「支援」という見方と結びついている気がしている。

一緒に働く同僚たち(左端が筆者)

一緒に働く同僚たち(左端が筆者)

僕が見る限り、周りにいる開発や人道支援に関わるスタッフは、「人助け」の主人公になりたくてこの仕事についているわけではない。多くのスタッフが、国際協力の仕事に関わりたくて、想いと志を持ってこの仕事を選んでいることは事実だとしても、私たちをそうさせ続けるエネルギーがあるとすれば、それは、私たちの周りからくるものかもしれない。

例えば、支援という業務を通じて出会う受益者や同労者に突き動かされることがある。よくある話、というと色々失礼かもしれないが、「途上国の人を助けようと思って現地に足を運んだところ、むしろ多くを助けられ、多くを教わったのは自分でした」みたいなストーリーは誰もが聞いたことがあるはずだ。こうした語りの普遍性は、国際協力の仕組みにおいて「支援を受ける側」から「支援をする側」に向かってはたらく矢印があることを示唆している。つまり、私たちは、支援事業を行うプロフェッショナルとして現場に尽力する一方で、異なる環境や境遇に生きる人々から常に教えられ、学ばされ、そして謙虚にさせられる。国際協力支援が広い意味での国際交流といわれる所以もそこにあるのかもしれない。

また、私たちは沢山の支援者の方々の想いに掻き立てられて、前に進んでいる。支援者の方が送ってくださる手紙が団体内で読み上げられるとき、その手紙が指し示す「”何か”をしなければいけない」社会の現実は、スタッフが思い描く「見たい未来」を日々、形作っている。常に発信ばかりしているようなイメージがあるNGO団体のスタッフ一人ひとりだって、実はいつも周りから「受け取って」前に進んでいるはずだ。また時には、自分の業務とは一見何の関係もない出会いや、身近な誰かの一言で、エンジンがかかったりすることもある。つまり、国際協力NGOのスタッフは、(それが美しく映ろうとも、偽善的に見えようとも)利他的に「人助け」をしているかのような構図は、包括的な絵を反映していない。むしろ、日本中、そして世界中から飛び交う矢印の中にあって、触媒のようにして進む仕事といっていいかもしれない。

ヨルダンにて、遊牧民の踊りを教えてもらう筆者

ヨルダンにて、遊牧民の踊りを教えてもらう筆者

どんな明日を生きていたいのか?

こう考えていくと、そもそも、今日わたしたちが向き合っているイシュー自体が、「人助け」ではないのではないか、という気がしてくる。SDGsというスローガンが掲げているのは、「グローバル課題」への対応である。干ばつや洪水がもたらす食糧不足も、紛争地で起きている人道危機も、そして日本でも起きている貧困や差別の問題も、どれも、「地球が明日、どんな場所であるべきか?」という、地球に生きる私たち一人ひとりがジブンゴト化して然るべき問いである。私たちは、自分が今日、口にする食料の原産地ラベルを眺めるだけで、または身に着ける衣類のタグをめくるだけで、世界で飢えや貧困に痛む人々との「繋がり」を確認できる時代に生きている。

わたしたちが今日向き合っている問いは、明日の世界を想像し、創造することである。そして、わたしたちのようなNGO団体は「人助け」の主役などではなく、私たちに影響を与え、また私たちも影響を与えている無数の人々と、見ていたい未来を共に想像し、カタチにするためのツールなのだろう。ワールド・ビジョンは、グローバルな課題の最中、最も弱い立場におかれる子どもたちが、一人でも多く「豊かないのち」に生きてほしい、そんな明日を思い描いている。この願いは、地球のどこに生きる子どもについてであっても、私たちが共通して一致できる祈りであるはずだ。

シリア難民支援の教育事業にて

シリア難民支援の教育事業にて

ホントウの「国際協力」

国際協力という言葉は、言いえて妙である。どういうわけか、日本では国際「支援」や「援助」ではなく、国際「協力」という語が一般的だ。この語の厳密な由来は存じ上げないものの、私たちは、国境を越えて「協力」する必要があるという意味では、腑に落ちる言葉かもしれない。私たちが直面する課題は、感染症であれ、気候変動であれ、もはや「世界のだれか」の問題ではない。どれも、私たち自身の問題であり、自分と他者との協力がマストである。

「ホントウ」を漢字で書くほどに偉そうなことは言えないが、少なくとも、国際協力に関わる人々の多くは、きっと「一方通行」の援助という枠組みで仕事をしていない。むしろ、日本が、そして世界が直面する課題を目の前にして、「何か」をしなければ、という「想い」に突き動かされ、その「想い」を一つの形にしようとしている。そして、なにかをしなければという「想い」は富める国から貧しい国に流れるものでもない。その「想い」は、世界であれ日本であれ、痛みの震源地の人々と共にあろうとするものであり、より良い未来を描くために無数の矢印として共鳴しあうものである。

ワールド・ビジョンの創設者 ボブ・ピアスが遺し、今や団体の標語のようになっている、「”何か”はきっとできる」。それは、偽善を纏った「人助け」のコトバではなく、目の前の現実に「共に」向き合うための励ましの合言葉であるはずである。

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この記事を書いた人

神田聖光支援事業部 プログラム・コーディネーター
東京外国語大学スペイン語学科卒。中米メキシコのMUFG Bank (Treasury & Market)にて勤務、並びに現地ホームレス支援NGO Mijesに従事した後、米ノートルダム大学Keough School of Global Affairsにて開発学修士課程修了。南米チリの教育系NGO (Enseña Chile) にて、Graduate consultantとして学校改善プロジェクト実施後、外務省国際協力局開発協力総括課にて勤務。2021年3月にワールド・ビジョン・ジャパン入団。支援事業部にて、複数国の緊急人道支援や開発支援の事業管理を担当。
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