【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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解決見えない南スーダン 紛争の先にいる子どもたち

世界で一番新しい国、南スーダンが再び内戦状態になってから2年半以上がたつ。2013年12月15日、「銃撃戦が始まった」と、首都に滞在していた同僚から連絡があり、東京事務所は騒然となった。

首都で発生した武力衝突は、あっという間に南スーダン各地に拡大。これまで、紛争当事者間で幾度も和平交渉が行われてきたが、いまだに解決の糸口は見えていない。

 

難民キャンプで、弟を抱いて歩く男の子

難民キャンプで、弟を抱いて歩く男の子

南スーダンのほか、シリアや中央アフリカなど、世界各地で紛争が起きており、数えきれないほどの命が犠牲になっている。2014年末時点で、紛争や迫害から逃れるために約5950万人が移動を強いられた。紛争の深刻さは規模の大きさだけではない。一人ひとりの人生に深刻な影響を与える。私はそのことを身をもって感じてきた。

 

南スーダン国内で避難民生活を送る姉妹

南スーダン国内で避難民生活を送る姉妹

エチオピアのガンベラ州。南スーダンとの国境に近いこの地域は、南スーダンからの難民を20万人以上受け入れている。ワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)はジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成金や募金によって、ガンベラ州の難民キャンプにおける教育支援事業を実施している。私は、14年8月~15年5月まで事業管理のために州都のガンベラ市に駐在し、難民キャンプと市内とを行き来する生活を続けた。

支援対象の難民キャンプの人口は約4万6000人。そのうち63%が子どもだ。親や親戚、友達を亡くした子どもたちが大勢いる。配給される食糧を受け取るために何時間も並んだり、何キロも歩き回って薪を集めたり、生計を立てるために小売店を経営したりと、子どもたちは非常に厳しい生活を送っている。

慣れない生活の中で悲しみに暮れ、母国のことを思いつつも何もできない状況に、フラストレーションを抱えて生活している。そのようなストレスや生活の不満から、子どもたちは昼間から酒やたばこに手を出したり、暴れまわったり、盗みやレイプなどの犯罪に走ることもある。

 

≪仲間とともに将来へ 学校がきっかけに≫

ある時、15、6歳の難民の子どもたちが、町のインターネットカフェにいるのを目にした。彼らは、母国での紛争の様子を伝える動画を食い入るように見ていた。「ベンティウの戦い」と題された動画で、南スーダンの州都ベンティウにおける政府と反政府勢力との戦いが流れた後、燃えて黒こげになった建物や死体が映し出された。まじろぎもせず動画を見ていた子どもたちが、一体どのような気持ちでいるのかと想像すると、胸が苦しくなった。

WVJが実施する事業では、小学校5~8年生を対象に小学校2校を開校、教員の採用や研修、学用品の配布など学校運営のサポートを行った。何もない草むらを切り開き、本校舎ができるまでの間、プラスチックシートやテントでできた簡易な仮校舎を利用した。

 

男の子だけでなく、女の子も学校に通う

男の子だけでなく、女の子も学校に通う

開校準備をしているとき、何人もの子どもたちが「学校はいつ始まるの?」と聞いてきた。当時、難民キャンプには学校がなかったため、子どもたちの教育に対する期待はものすごかった。

学校が始まると、たくさんの子どもたちが通うようになった。40度に迫る暑い日が続き、強風で仮校舎が壊れたりと厳しい環境だったが、子どもたちは学校に通い続けた。

「新しいことを学びたい」「友達に会える」…。

学校に通う理由はさまざまだが、子どもたちが悲しみに暮れたり犯罪に走るのではなく、仲間とともに将来のために何かをする、教育はそのきっかけになった。

 

教育の重要性を大人に理解してもらうため、子どもたち自身が声を上げた

教育の重要性を大人に理解してもらうため、子どもたち自身が声を上げた

最近、支援対象校の8年生課程を勉強していた生徒490人が、州政府が実施する9年生への進級試験を受験した。週末に補習授業を行って生徒の受験をサポートしてきた南スーダン難民の担任教員たちも、固唾をのんで試験を見守った。試験を終えて出てきた子どもたちの顔は、達成感に満ちていた。

子どもたちは、教育を通して生きる力を身に付け、前を向いて歩いていく強さを持っている。しかし、このように支援を受けられる子どもたちは、冒頭の5950万人のほんの一握りにすぎない。紛争は、何の関係もない可能性に満ちた子どもたちから、教育を受ける権利を奪い、人生にも破滅的な影響を与える。それを、絶対に忘れてはならない。

 

テントの外で本を広げる子どもたち。両親は南スーダンから戻らず、兄弟だけで暮らしている

テントの外で本を広げる子どもたち。両親は南スーダンから戻らず、兄弟だけで暮らしている

戦後70年を迎える日本。駐在の任を終え、平和な東京の生活に慣れ始めている中、自分の目で見て肌で感じてきたことを風化させず伝えていくことが、私の大きな責務だと思っている。

「何もかもはできなくとも何かはきっとできる」と信じ、子どもたちの未来のために、支援を届け続けたい。

 

※この記事はワールド・ビジョン・ジャパンの村松良介スタッフが執筆し、2015年8月11日付SANKEI EXPRESS紙に掲載されたものです

この記事を書いた人

村松良介支援事業部 緊急人道支援課 プログラム・オフィサー
【経歴】
2010年、北海道大学法学部卒業。
2012年1月、英国のエセックス大学大学院(人権理論実践学)修了。在学中は札幌のNPO法人やガーナ、バングラデシュの人権関連NGOにてボランティア、インターンを経験。
2012年1月ワールド・ビジョン・ジャパン入団。支援事業部緊急人道支援課 プログラム・オフィサー。2014年8月より10カ月間、南スーダン難民支援事業担当駐在員としてエチオピア駐在。

【趣味】
音楽鑑賞、歌うこと、卓球

【好きな言葉】
ある舟は東に進み、またほかの舟は同じ風で西に進む。ゆくべき道を決めるのは疾風ではなく帆のかけ方である(『運命の風』E.W.ウィルコックス)
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