先日、東日本大震災関連の番組で、震災発生当日のTV報道の様子を特集した番組がありました。その中で、特に印象に残ったのが、津波が発生して、今にも町を飲み込もうとしているときに、地方局のアナウサーが、在京キー局に向かって、「○○TV、何やっているんだ、津波が来ているんだよ!!!」という風に叫んでいるようすでした。
アナウンサーはそのときの気持ちを、今にも迫り来る津波に対して何もできない無力感を感じながら、ニュースを伝えていた、と話していました。
私がこの話を聞いて思ったのは、私はこのアナウンサーのように叫んでいるだろうかということです。私は海外事業部の人間として、ワールド・ビジョン・ジャパンが実施する支援事業の現場へ行くことが多く、その国、地域で多くの子どもたち、人々が劣悪な環境や衛生状態、不十分な教育状況、不平等、食糧不足、貧困などに苦しむ様子をこの目で見る機会が多くあります。
そこで子どもたちや地域の人々は、清潔な水がない、トイレもない、満足な食料もない、学校もない、病院もない、と叫んでいます。その言葉を、そしてその現状を、私は日本の人々に、日本の社会に十分伝え切れているのだろうか?
あの、無力感を感じながらも、東京のTV局に向かって叫んでいたアナウンサーのように、私は本当に叫んでいるのだろうか?
声を上げられない子どもたちや貧困に苦しむ人たちに代わって、日本の人々に、日本政府に、日本社会に向かって叫んでいるのだろうか?
「ここに救いを求めている人がいるんだよ!」
「子どもたちが十分食べることができずに毎日を過ごしているんだよ!」
「貧困のために、この子は学校に行けずに働かされているんだよ!」 と・・・。
そのような現実を目の前にしてできることはわずかで、無力感を感じるのは、あのアナウンサーと一緒かもしれません。
しかし、あのアナウンサーのように叫ぶことこができているのか?
もう一度自分の心にこの問いを投げかけずにはいられません。
この記事を書いた人
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1983年大阪府立大学農学部農芸化学科卒業後、総合化学メーカーの日産化学工業株式会社の農薬部門で6年間勤務。同社を退職後、1989年11月より3年1カ月間、国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊員としてバングラデシュへ派遣され稲作を中心とした農業・農村開発の活動を行う。その後、青年海外協力隊調整員として3年6カ月ネパールに滞在、次いで青年海外協力隊シニア隊員として再度バングラデシュに派遣されモデル農村開発プロジェクト・協力隊グループ派遣のリーダーとして2年3カ月間、農村開発の業務に携わる。
2000年9月より米国フラー神学大学院世界宣教学部(Fuller Theological Seminary, School of World Mission)へ留学、異文化研究学修士(MA in Intercultural Studies)を取得。ワールド・ビジョン・インディアのタミールナドゥ州パラニ地域開発プログラム(Palani Area Development Program) での4カ月間のインターンシップをはさんで、2003年9月より英国サセックス大学大学院に留学、農村開発学修士号を取得する。
2004年12月国際協力機構(JICA)アフガニスタン事務所企画調査員として8カ月間カブール市に滞在。2005年9月よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、支援事業部 部長として勤務。
2021年3月退団。
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