支援事業部の今西浩明と申します。
私が途上国支援の仕事に関わるようになったのは、青年海外協力隊でバングラデシュへ行った平成元年以来であり、約30年が経ちました。その間、バングラデシュには計5年以上滞在したほか、公私にわたり何度も訪れていますので、私にとって第2の故郷といってもいい国です。
取り残されていたカルカマンダ地域
今回のブログでは、チャイルド・スポンサーシップの支援を中心に26年間活動を実施し、2019年9月末に支援の卒業を迎えたバングラデシュのカルマカンダ地域開発プログラムについてご報告いたします。
この支援活動の終了にあたって、支援の成果を確認するために、先月現地を訪れました。支援地域の人たちに会い、支援してきた子どもたち(チャイルド)に会う中で、私自身が実感した支援の成果について、お伝えできればと思います。
カルカンダ地域開発プログラムのあるカルマカンダ郡は、首都のダッカから北に約220キロ、北はインドとの国境に接するいわゆる「へき地」です。支援を開始した当時から、貧困や厳しい保健衛生の状態、子どもたちの就学率や大人の識字率も低く、当時世界の最貧国の一つであったバングラデシュの中でも本当に開発から取り残された地域の一つでした。
バングラデシュが洪水の被害で有名なのは皆さんもご存知だと思います。特にカルマカンダ地域は、毎年大なり小なり起こる洪水が人々の生活を苦しめていました。
この写真は、乾期の写真です。一面乾いた土地が広がっています。農作業をしているように見えますが、道を作るための盛り土を取ったり、レンガの材料となる土を運んでいるところです。
しかし、雨期になると風景は一変します。雨期のピークには水位が10メートル以上も上がるところもあり、この写真のように、多くの土地は水没し、海のように見えます。いつも、歩いて通っていた道も水没します。
写真のような小さいボートが人々の主な移動手段となり、子どもたちも学校へ行くために使うことも珍しくありません。
このように家々も水没してしまいます。農業ができる土地も限られ、人々の収入も少なくなります。また、衛生状態も悪くなり、下痢など水を介した病気も発生します。この洪水によって、道路は悪くなり、農作物や人々の家にも大きな被害をもたらします。
乾期の間に人々が懸命に働いて得てきたものを台無しにし、またゼロからの出発を余儀なくされることが幾度となくあるのです。
支援活動による地域の変化
このような環境の中で、ワールド・ビジョンはこの地域において人々に寄り添いながら、支援活動を行ってきました。具体的には保健栄養、教育、生計向上、防災・まちづくりの4分野です。
26年の間に、
保健栄養では、200基以上の井戸を作り、4万人近くの子どもにワクチンを接種し、9000人以上の子どもの栄養不良が改善しました。
教育支援では、学校の建設、修復を行い、3万人以上の子どもたちが奨学金を受け、学校に通うことができました。
生計向上では、チャイルドの親たちを中心に、3万人以上の人々が職業訓練を受け、家畜や果樹の苗木等の支援を受け、家計が安定し、村に活気が出てきました。
防災・まちづくりでは、200キロ以上にわたる道路を整備しました。
次に、このような支援を通して、子どもたちや人々にどのような変化があったのか、そのインパクトについてご紹介します。
保健栄養の分野では、多くの子どもたちの健康状態が改善しました。10年前、半分以上の子どもが低体重だったのですが、それが3割以下にまで減ってきています。
教育支援では、学校を建設したり、修復したりするなどして、子どもたちの学習環境が大幅に改善し、今では95%以上の子どもたちが小学校へ行けるようになりました。
最初は農業のみで不安定だった収入源は、多くの職業訓練などによって多様化しています。貯蓄グループによって多くのコミュニティの人たちが融資を受けてビジネスから収入を得ています。これにより、世帯当たりの収入は飛躍的に増加しました。
以前は竹でできた橋があり、特に雨期などに移動が困難であった場所が、コンクリート製の橋を建設することで、人々の移動や子どもたちが学校へ行くことが容易になりました。
26年間の支援で、子どもたちや人々の生活、村の環境は大きく変化しました。
しかし、今回私が現場を訪問し、一番強く心に残ったことは、カルマカンダでの支援がもたらした本当の成果というものは、人々や子どもたち自身が変わったこと、変革したということです。このことを次にご紹介したいと思います。
支援で生まれた「心」の大きな変化とは?
こちらは先月私が会ったコミュニティの人たちです。まず日本の支援者の方々へ、心からの感謝を述べていました。
そこで強く印象に残ったのが、彼らが、自分たちの経験を交えながら、支援の成果をイキイキと語る姿でした。
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この女性は、最貧困層(もっとも貧しい層)の家庭の女性でしたが、今では自分の夢を持って、その一つひとつを実現しています。
バングラデシュ生活の長い私にとって、貧困家庭にある、しかも女性が、このようにイキイキと自分の夢を語るということは、本当に驚くべきことでした。
彼女は私に自信を持って話してくれました。「今年の夢は9つありましたが、そのうち6つはかなえました。残る3つも必ずかなえます」と。本当にイキイキと話しをする彼女は、頼もしい限りでした。
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支援の中心である子どもたちにも話を聞いてきました。その声を映像でご紹介します。
まず一人目は、この地域の中でも特に貧しい家庭で育ったリシュナさん、16歳です。12年間スポンサーから励ましを受け続けてきた少女です。ワールド・ビジョンの支援によって高校まで行くことができ、これから大学の入学試験を受けようとしています。
もう一人はマルチアさん、13歳。日本でいうと中学1年生です。彼女も将来の夢を語ってくれました。
彼女たちの家庭の貧しさを知っているだけに、私は初め、彼女たちの夢は、お金持ちになりたいとか、立派な家を建てたいとか、出世をして人に尊敬されたいとか、そういう言葉が出てくるだろうなと思っていました。
しかし、彼女たちが、教師になりたい、弁護士になりたい、というその理由は、人のために働きたい、人に仕えるものになりたい、というものだったのです。
私はこのことに非常に感動しました。本当に心打たれました。それとともに、彼女たち自身の変革した姿に触れて、これこそが、今後のカルマカンダ地域を支え、担っていくものであるということを確信しました。
この2人以外にも何人かの子どもたちにも話しを聞きましたが、皆、同じように、人のためになりたい、人のお世話をしたい、弱い立場の人のために働きたいと話してくれました。これこそが、チャイルド・スポンサーシップによって支援を受けた子どもたちの心にもたらされた、“大きな変革”ではないでしょうか?
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ワールド・ビジョンが重視してきたのは、人々が様々な事柄に気づき、自分たちが生きていく上で大切な事について学び、そのことを通して人々が変わることです。人々が変われば、また洪水が起きたとしても、その被害から自分の足で立ち上がることができるのです。
先月この地を訪れ、地域の人々がこれからの発展を支え、次世代を担う子どもたちの必要にこたえていけるようになったことを実感しました。
この地域でのワールド・ビジョンの支援活動は、2019年9月で卒業を迎えました。
ワールド・ビジョンはこの地を去ることになりますが、チャイルドの心に、しっかりと刻み付けられた、人々に仕えたい、弱い立場の人たちのために働きたい、という思いによって、これまでの支援の成果が継続され、更に持続していくことを強く確信させられました。
世界では、バングラデシュだけでなく、まだまだ支援を必要とする多くの国々や地域があります。
ワールド・ビジョンはそういった地域の子どもたちの健やかな成長、「豊かないのち」のため、さらに活動を進めてまいります。
今後とも、皆さまと一緒にこの活動を進めることができれば幸いです。
引き続き、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
ワールド・ビジョン・ジャパンでは厳しい環境に生きる子どもたちに支援を届けるため、11月1日(金)~12月27日(金)まで、3000人のチャイルド・スポンサーを募集しています。
この記事を書いた人
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1983年大阪府立大学農学部農芸化学科卒業後、総合化学メーカーの日産化学工業株式会社の農薬部門で6年間勤務。同社を退職後、1989年11月より3年1カ月間、国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊員としてバングラデシュへ派遣され稲作を中心とした農業・農村開発の活動を行う。その後、青年海外協力隊調整員として3年6カ月ネパールに滞在、次いで青年海外協力隊シニア隊員として再度バングラデシュに派遣されモデル農村開発プロジェクト・協力隊グループ派遣のリーダーとして2年3カ月間、農村開発の業務に携わる。
2000年9月より米国フラー神学大学院世界宣教学部(Fuller Theological Seminary, School of World Mission)へ留学、異文化研究学修士(MA in Intercultural Studies)を取得。ワールド・ビジョン・インディアのタミールナドゥ州パラニ地域開発プログラム(Palani Area Development Program) での4カ月間のインターンシップをはさんで、2003年9月より英国サセックス大学大学院に留学、農村開発学修士号を取得する。
2004年12月国際協力機構(JICA)アフガニスタン事務所企画調査員として8カ月間カブール市に滞在。2005年9月よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、支援事業部 部長として勤務。
2021年3月退団。
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