私はこれまで、タイに計6年5カ月、カンボジアに計6年間駐在・滞在し、その間駐在国を基盤にメコン6カ国を担当しており、メコン地域には10年以上関わっていることになります。
自己紹介の時に「NGOで働いています。タイとカンボジアに計10年間住んでいました。」というようなことを言うと、「偉いわねぇ(変わってるわねぇ)」とか「家族と離れて、不便な生活大変じゃないですか?」「10年も!日本に帰りたくならなかったの?」など、多大な犠牲を払って、大変な生活をしている人(ちょっと変わっている人)という反応を受けることが多いのですが、私としては「犠牲」を払ったのではなく「タイにもカンボジアにも育ててもらったなぁ」という感謝の気持ちが大きいのです。
初めにタイに移動したのは、たまたま家族がタイで仕事をすることになったことがきっかけでした。当時の生活に閉塞感を感じていた私には、タイに行くことは、なにか新しい希望のある選択肢のように感じたのでした。若い頃の私は「空気を読んで」「周りの人の顔色を窺って」いい子の皮をかぶって生きている子どもで、20代半ばにはその生活になんだかすっかり疲れ切っているところがありました。あまり深く考えずに、家族と一緒にタイに行くことを決め、タイで開発の勉強をして、現地で開発援助の仕事を始めたことが今の自分へとつながっています。
以前アフリカで子ども時代を過ごし、アメリカの大学で日本語を勉強して日本で働いているアメリカ人と話をしたとき、「(一括りにするのは良くないけれど)途上国の人々と比較して、日本人は外側は固く覆われているけれど中は柔らかい人が多いね」と言われたことがありました。また私自身当時、日本の国には目に見えないルールが多くあるように感じていました。気働きが下手で、とても鈍感なところがあって、人とズレた行動の多かった私には、その日本人の固い仮面にどうにも萎縮してしまい、同時に見えないルールに勝手に縛られて、生きにくさを感じていたのだと思います。
先のアメリカ人との話の中で、私は「タイ人は反対だな。外側は柔らかいけれど、中は太くて頑丈な人が多いな」と思ったことがあったのですが、日本に生きにくさを感じていた私が、タイで人々の温かさや優しさに触れ、他意なく、おせっかいなほどにどんどん踏み込んでくる人に囲まれて日々を過ごすうちに、自分自身が少しずつ変わっていったように思います。自分を覆っていた壁は崩れ、内側の自分がむき出しになって、体当たりで毎日を過ごさなければならない状況になっていったのです。
そして「ノーって言っても受け入れてくれるんだな」とか、
「今変なことを言っちゃったけれど、気にしてないんだな」など、
毎日の生活の中で自分も少しずつ強くなって、生きる力(ライフスキル)が養われていくことが実感されるようになりました。
その後、ワールド・ビジョンの仕事で駐在したカンボジアでも、カンボジア人の友人知人、国際スタッフなどたくさんの温かな人に恵まれました。様々なバックグラウンドを持つ人たちと関わるということは「常識」が存在しないということで、仕事を進めるうえで、どんな小さなことでも、とにかく言葉にして説明することが求められました。それまで私は言い訳するのはカッコ悪いなという思いがあって、相手の期待するものと齟齬のある結果が出たときには、謝ってひっこめるのが常だったのですが、どうしてそう考えるに至ったか説明する必要性に迫られ、説明することで、思いもかけなかった新しいものが作られる経験をし、人とのコミュニケーションに目から鱗が落ちる経験を何度もしました。
2016年に日本の事務所に戻ってきた際、入団当時の上司から「池内さんはコミュニケーションが随分上手になったね」とお褒めの言葉を頂いたのですが、それはカンボジアのお蔭かなと思っています。
カンボジアに駐在していたときも、今日本から担当国にモニタリング業務で出張するときも、現場に行くと
「この事業のおかげで、自分たちの生活が本当に変わりました。本当にありがとう」とか、「日本からのご支援ありがとうございます」とか、「頂いたインプットのおかげで問題を乗り越えられます。ありがとう」とか、立場上、私たちのgiveに対して現地から感謝を受けることが多いのですが、そのたびに「私がこれまでメコン地域で出会った人々に頂いたものも、皆さんと同じかそれ以上、私自身と私の生活を変えてくれたのです。本当にありがとう」と思っています。
タイもカンボジアも経済的に大きく成長してきたこの20年。私も常に並走しながら、一緒に成長してきたように思います。メコン地域を支援するというより、一緒に成長しているという気持ちが私のモチベーションとなっているように思います。
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【関連ページ】
・支援地域の子どもたちは、どうしているかな?
・メコン地域における人身取引対策事業 その成果と課題(PDF)
・世界の問題と子どもたち:人身売買
・国際NGOへの就職を考えるあなたへ:支援の現場を支えるスタッフから
この記事を書いた人
- 東北大学大学院修士課程修了後、私立高等学校にて英語講師として勤務。その後タイ王国チュラロンコン大学大学院タイ研究講座を修了。タイの東北地方の農村にて調査・研究を行い、NGOと女性の織物グループの形成をジェンダーの視点から考察した。2003年から2006年までの3年間、タイの国際機関(UNODC, UNAIDS, UNESCAP)や日本のNPOなどでインターン・コンサルタント・国際スタッフとして契約ベースで勤務。帰国後、千葉の財団法人、海外職業訓練協会にて、APEC・ASEAN域内諸国を対象とした、人材育成フォーラムや技能研修などの研修事業に携わった。2008年2月ワールド・ビジョン・ジャパン入団。2010年10月より2016年6月まで人身取引対策事業のためにカンボジアに駐在。日本に帰国後、支援事業部 開発事業第1課配属。2021年9月より休職(別組織より南スーダンに赴任)。日本に帰国後、2023年10月よりワールド・ビジョン・ジャパンに復職。
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