【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

意識啓発活動にてコミュニティが子どもを学校に通うように訴えかけている様子

教育は命を救う~世界難民の日によせて③~

「お母さんは南スーダンで亡くなったんだ。それでも、僕は学校に通い続けることにしたよ」 そう語るのはエチオピアの南スーダン難民キャンプに暮らす、18歳のチュオル君(仮名)。チュオル君は南スーダンの紛争から逃れるため、家族と離れ離れになって、1...

チャイルドのエマニュエル君と

初のアフリカ大陸

※このブログは、2015年3月にルワンダの支援地訪問ツアーに参加くださったチャイルド・スポンサーの方が書いてくださったものです。 国際協力的なボランティアを始めて15年、アフリカへ行ってみたいというのが私の夢でした。 ルワンダの支援を始めた...

私のチャイルド、アイシャちゃんにも会えました

「大きな勘違い」

「私の人生は他人のためのものでなければ、死よりも劣る」 ワールド・ビジョンへの入団を後押ししてくれた元国連事務総長ダグ・ハマーショルド氏の言葉で、とても大事 にしている…つもりです。しかし、いかに大事にできていないか、自分の意志や信念がいか...

意識啓発活動の様子_未来のための教育と生徒が書いたバナーを持って行進

難民との出会い~その4~  南スーダン難民の教育事情

「万人のための教育*」とはよく言ったものだ。すべての人が教育受けられるようになるために、立ちはだかる壁はあまりに大きい。 以前のブログで書いたように、私は、エチオピアにおける南スーダン難民キャンプで小学校の環境整備、運営等を担当している。学...

地域の子どもたちが、平和を祈る歌と踊りを披露してくれた。これも、平和再構築の活動の一環だ(写真協力:前康輔)

絆取り戻す「平和再構築」

今年2015年、日本は戦後70年を迎える。小さな日本が巨大な世界を相手に戦ったという事実を知る人は減り、歴史の1ページになっていくように感じる。かくいう私も、戦争はおろか戦後さえ知らない。ミャンマーで戦ったという祖父は、何度聞いても詳細を語...

自分の夢を生き生きと語ってくれた子どもたち!ナルウェヨ・キシータ地域開発プログラム内の小学校にて

「知らないこと」を「知る」ということ-ウガンダの支援地より

現在、ウガンダ西部にあるキバーレ県に来ています。首都カンパラから6時間。緑にあふれた湿地が広がる中、雨でぬかるんだデコボコ道を進んで、ワールド・ビジョン・ジャパンがチャイルド・スポンサーシップによる地域開発プログラムを行っているこの地域まで...

大好きなお父さんとお母さんと

一人の「力」でできること ~タンザニアで出会ったプリスカちゃん~

この夏、人生で初めてアフリカに行きました。 アフリカ大陸の最高峰として知られるキリマンジャロのあるタンザニアは、その豊かな自然、野生動物たちを観に海外から来る観光客で賑わう一方、最低限の生活すらままならない子どもたちが多くいます。 タンザニ...

ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん

ノーベル平和賞受賞、マララさんがつなぐ子どもたちの夢

私には二つの選択肢しかありませんでした。一つは、声を上げずに殺されること。もう一つは、声を上げて殺されること。私は後者を選びました。(中略)私も教育を受けられなかった女の子の一人でした。私は学びたかった。私は学び、将来の夢をかなえたかった。...

教員採用面接の様子

難民との出会い~その3~難民キャンプの日常

エチオピア西部のガンベラ州に駐在し、南スーダン難民への緊急支援に携わるようになってから、約2カ月が経った。私は難民キャンプから約45km離れた小さな町ガンベラの「事務所兼スタッフハウス」にて、10人の現地スタッフと一緒に暮らしている。 事業...

事業地の子どもたちと筆者

難民との出会い ~その2 ~南スーダン難民

私のもう一つの難民との出会いの場所は、エチオピアの西端にあるガンベラ州の南スーダン難民キャンプであった。 ガンベラ州には、南スーダンの紛争から逃れてきた難民18万人以上(うち約7割は子ども)が、おもに難民キャンプで生活している。私は、難民の...

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