エチオピア西部のガンベラ州に駐在し、南スーダン難民への緊急支援に携わるようになってから、約2カ月が経った。私は難民キャンプから約45km離れた小さな町ガンベラの「事務所兼スタッフハウス」にて、10人の現地スタッフと一緒に暮らしている。
事業地である難民キャンプには1時間ほどかけて車で往復している。何度も難民キャンプを訪れるうちに、少しずつ難民キャンプの日常が見えてきたので、その一部を紹介したい。
難民キャンプに入ると目につくのが多くの国際機関やNGOの「ロゴマーク」だ。難民キャンプでのさまざまなサービスは、国連難民高等弁務官 (UNHCR)やエチオピア政府機関である難民移民問題機関 (ARRA)の調整のもと、多数の国際機関やNGOが共同で提供している。
例えば、食糧は国連食糧機関 (WFP)が、最近南スーダンで流行しているコレラの予防接種など保健・医療サービスは「国境なき医師団」などが提供している。難民は、これらの援助機関が提供するさまざまなサービスに基本的に無償でアクセスできる。
キャンプの中では、一定の間隔を保ってUNHCRが配布するテントが張られ、難民はその中で生活している。要所に公衆トイレや大きな給水タンクが設置され、タンクへの給水は援助機関が大きな給水車をキャンプ中に走らせて毎日行っている。
キャンプはいくつかの「ゾーン」に分けられ、それぞれのゾーンにはコミュニティの代表者や若者のリーダー、女性のリーダーがいる。何かコミュニティに情報を伝えたり相談したりするときは、この代表者やリーダーにまず話を通すことになっている。
また、会議スペースや、教会(木の下の青空教会)、何か問題があったときにコミュニティが仲裁を行う裁判所のようなスペースもある。南スーダン国内の紛争を体験し逃れてきた難民の人々の中にも、少しずつ、「日常」が形成されつつある。
難民キャンプの生活は決して容易ではない。難民人口の拡大に伴い、キャンプは次々と切り拓かれて拡大し続けている。事業地である「クレ難民キャンプ」では、当初ゾーンAと呼ばれる地域しかなかったのが、ゾーンB、Cと拡大され、今はゾーンAからHまでの8つのゾーンが存在する。
約8km以上の道を歩かなければ、キャンプの端のゾーンHまでたどり着くことはできない。今は雨季であるため、大量の雨が降る度に舗装されていない道路は泥だらけになってしまう。頼みの給水車も泥にはまってしまって動けなくなっているところも何度か目撃した。厳しい環境の中、さまざまなサービスへのアクセスをいかに確保するかが課題となっている。
そのような中、私たちワールド・ビジョンは教育支援実施のため、難民キャンプの至るところに教員採用の募集広告を貼り出した。
すると、翌日から、手書きの履歴書やカバーレターを持ってたくさんの教員候補の人たちが登録のためにやって来てくれた。多くは、学歴や教員の証明書を紛争で無くしているため、公平を期すために、筆記試験と面接を実施し採用することにしている。あるカバーレターにはこう書いてあった。
「私は南スーダンで教員として働いていましたが、紛争で教員証明は焼けてしまいました。もし再び教員として採用してくださるのであればとても嬉しいです。これは私の一生涯の仕事ですから」
日常を取り戻す風がすっと通り抜けるのを感じた。
この記事を書いた人
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【経歴】
2010年、北海道大学法学部卒業。
2012年1月、英国のエセックス大学大学院(人権理論実践学)修了。在学中は札幌のNPO法人やガーナ、バングラデシュの人権関連NGOにてボランティア、インターンを経験。
2012年1月ワールド・ビジョン・ジャパン入団。支援事業部緊急人道支援課 プログラム・オフィサー。2014年8月より10カ月間、南スーダン難民支援事業担当駐在員としてエチオピア駐在。
【趣味】
音楽鑑賞、歌うこと、卓球
【好きな言葉】
ある舟は東に進み、またほかの舟は同じ風で西に進む。ゆくべき道を決めるのは疾風ではなく帆のかけ方である(『運命の風』E.W.ウィルコックス)
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