【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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あるNGO職員とカンボジアの復興 - 雨の日風の日から22年(その1)

先日、テレビのニュースで近代的なビル建設に湧くプノンペンの様子が映し出され、大変に感慨深い思いでその映像を見ていた。22年前は、車すらほとんど通っていなかった街がこれほどまでに大きく発展するとはまったく想像できなかった。

カンボジアの子どもたち

カンボジアの子どもたち

私がカンボジアを初めて訪れたのは、1991年で当時はプノンペン政権といわれていた現政権とクメール・ルージュ軍の内戦の真っただ中であった。

首都プノンペン周辺は、プノンペン政権が支配し落ち着いていたものの、その他の地域では、まだ散発的な戦闘が続いており、特にバッタンバン州やコンポンスプ州などでは、支援により建設した小学校や医療施設が戦禍さらされることがしばしばであった。

ワールド・ビジョン・ジャパンでは、この国に集中的に支援をしていた時期であり、特に、内戦前にワールド・ビジョンがプノンペンに建設した国立小児病院への支援と戦闘により村を追われた国内避難民の人々への食糧支援を中心に行っていた。

お昼寝をする赤ちゃん

お昼寝をする赤ちゃん

小児病院の外来病棟では、病気の子どもを抱えながら村から何日も歩いてきたお母さんと子どもたちで溢れていた。お母さんたちは、ほかの子どもたちを家に置いてくることはできず、子どもたちの面倒を見ながら病気の子どもの世話をしていた。

腕に抱かれた子どもたちの中は、下痢や百日咳のように本来ならば早期の治療で回復する病気にも関わらず、痩せ衰えて意識もないようなケースも見受けられた。そして入院できても病院の現状では手の施しようもなく、静かに死んでゆく子どもたちの現実を目の前で見せられ、魂が震えた。

また、避難民キャンプの視察では、戦いで破壊された悪路を何時間も走り、時には道に敷設された地雷を避けながら幾つかのキャンプを訪問し、現場のニーズと支援活動の様子を視察した。人々の表情は一応に暗く疲れが表れていた。土地や家、家畜など財産といわれるすべてのものを奪われ命からがら逃げてきた人々は、今日を生きるのが精いっぱいで明日へ希望など考えもおよばない様子であった。

視察を終えた帰途の車中、戦争に対するやり場のない怒りと人々の復興へ遠い道のりを考えると押しつぶされそうな思いになった。“どうなるんだよ、これから”自問とも神への問いかけともつかない言葉を心で発しながら暫くボーっと窓の外を眺めていた。

あるNGO職員とカンボジアの復興 - 雨の日風の日から22年(その2)を読む

あるNGO職員とカンボジアの復興 - 雨の日風の日から22年(その3)を読む

この記事を書いた人

高瀬一使徒
大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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