南三陸町からの被災者が避難しておられる、登米(とめ)市の登米(とよま)中学校の体育館のすみで担当者を待っていた私たちに、ストーブの前の場所を譲ろうとして招いて下さった女性がいました。被災地の南三陸町内の高校を3月1日に卒業されたかずみさん(18歳)でした。石巻で自動車運転教習を受けておられた時に地震が起こりました。その夜は教習所で一夜を過ごし、翌日、同じく石巻に来ておられたお父さんと合流し石巻北高校で過ごし、自宅のある南三陸にいるお母さんと弟さんを探しました。翌日、弟さんの友人から弟さんは無事で登米中学校に避難していることを聞き二人でこの避難所に来られたそうです。
弟さんは、南三陸町にある中学校の3年生で、学校にいる時に津波が襲いました。校舎の1階まで津波が押し寄せ、人々が流されてきました。中学生たちは、懸命に流される人々に手を伸ばし救助しました。中には、おばあさんを救おうとして自分も流され、辛うじて自分は校舎に泳ぎ戻ることできましたが、おばあさんが流されるという場面もあったそうです。
お母さんとは、ようやくその翌日に出会うことができました。
お母さんは、海岸近くの病院の4階で働いておられた時に津波が押し寄せるのが見え、必死で5階まで逃れ、4階まで到達した津波の何を何とか逃れることができ救助を待っておられたそうです。
かずみさんの同級生のかずひろさん(18歳)は、自宅に居た時に地震が起こり、高台まで避難所しましたが、危険を感じより高所の神社まで逃れたそうです。その後、防波堤が津波に飲み込まれたかと思うと、高台に逃れていた数十人の人々が流されたそうです。
彼は、3日前に被災地に戻った時に撮ったという変わり果てた故郷の携帯写真を見せてくれました。
そんな体験をされたかずみさんが語ってくれました。
「ここの避難所では、本当に良くしてもらっています。
温かいご飯や服もいただけて、お風呂にも連れて行ってもらいました。
自分たちが、たくさんの人々に支えられてこの生活をしているのは感謝してもしきれない。
これからは、どこかで災害があったら、募金をしたいと思います。
自分が体験して分かったこと、自分がしてもらったことを、世界の人々に返して行きたいです。
そのためにも、
一日も早く普通の生活に戻れるように願っています。」
かずみさんの願いのように、
人々が一日も早く普通の生活に戻れるような活動を続けることができるように、
引き続きご支援をよろしくお願いします。
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この記事を書いた人
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関西大学卒業後、地質調査・井戸掘削会社および斜面保護・緑化会社に勤務。現場作業や土木施工監理技師として施工管理などを担当。
1992年に渡英し、グラスゴー・バイブル・カレッジに留学。
1995年に帰国し、ワールド・ビジョン・ジャパンに入団。
2000年度よりマーケティング部長(旧 国内事業部長)。
2015年度よりマーケティング第二部長。
2017年度よりサポートサービス部 教会パートナーシップ・コーディネーター。
2018年6月退団
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