彼女は、料理用の小さなバーナーをヒータ一代わりにした殺風最なアパートで、シリアから逃げてきたときのことを話してくれた。
「ここにいては死んでしまう」
シリアを出る決心をしたのは、2年前の夏。親族の面倒を見る夫を残し、そばにあった洋服とあるだげのお金を持ち、小さな子どもの手を引っ張って、国外へ出るバスが出ている停留所に向かった。妹とその子どもたちも一緒だ。
何キロ走っただろうか、川に着いた。バス停は向こう岸にある。子どもを背負って、時にはのど元まで水がくる川をずぶぬれになって渡る。へとへとになって、ようやくバス停にたどり着き、すし詰めのバスに無理やり乗り込んだ。通常なら長くても数日の道のりを、20日間かけてヨルダンとの国境にたどり着いた。その間、食べ物も飲み物も、ほとんどなかった。
私は、ソファの代わりに立てかけられたマットレスに座って、ただ彼女の話を聞くことしかできなかった。
4人の子どもたちのうち3人は就学年齢だが、2人は、ここ1年学校に通っていない。定員いっぱいだったり、学校に行ってもシリアなまりが原因でいじめられたからだ。同じアパートに妹一家が暮らしているが、周りの誰を信用していいのか、誰に悩みを伝えればよいのか分からない。
国際機関の支援で最低限の生活はできるが、働くことは許されていないし、ほぼ一日中、家から出ることはない。「何もすることがなくて、生きがいがない」と彼女は、困ったように、そして悲しそうに笑った。
今日を生きるためには、水や食糧、寝る場所のほかに、「生きがいがこんなにも大切なのだ」と痛感した。
一向に終わる気配のないシリア内戦は、3月でまる4年を迎える。難民となった人々の多くは、レバノン、ヨルダン、トルコなど周辺国へ逃れた。私が駐在するヨルダンでは、総人口の10人に1人がシリア難民だ。その約2割が難民キャンプで暮らし、約8割がヨルダンのコミュニティーに住む。難民の多くは女性や子ども。難民登録している全体の84%程度が、就学年齢の子どもたちである。ざっと数にして、20万人以上になる。
難民の流入によってヨルダンの公立学校では子どもの数が著しく増えている。通常は1クラス30人で多いほうだが、今は50人のクラスも見かける。また、授業を午前と午後の2部制に分け、授業を1コマ約30分に短縮して対応している。
このような環境では、子どもたちが十分に勉強することはできず、教員も子どもたち一人ひとりに目を配る余裕がない。また、悲惨な光景を目の当たりにしたせいか、シリアから逃れてきた子どもたちは、大きな音におびえたり、ナイフを振り回したりするという話も耳にする。そして、難民であるがゆえに、いじめにあったり差別されたりするケースも少なくない。
ワールド・ビジョン・ジャパンは、ジャパン・プラットフォームと連携し、ヨルダンにある公立学校で補習授業を実施している。ヨルダン人、シリア人の子どもたちを放課後に受け入れ、算数、アラビア語、英語の補習を行う。授業の終わりには、みんなでゲームやお絵かきをするレクリエーションの時間も設けている。また、保護者に対しては子どもの保護の研修や話し合いの時間を設けている。
事業を始めたばかりの頃は、注意力散漫な子、目を合わせたがらない子など実にいろいろな子どもがいた。正直不安だった。
ドキドキしながら数週間後にのぞいてみると、子どもたちは先生の話を楽しそうに聞いていた。授業中に手を挙げる子も増え、教室からはガヤガヤとにぎやかな声や歌声が聞こえてくる。ホッとしながらも、こんなにも子どもたちの顔つき、態度が変わるものなのかと驚いた。
補習授業で、はじめて英語のアルファベットが全部言えるようになった。お友達とおしゃべりをして笑った。補習授業は、子どもたちの小さな「できた」の積み重ねだ。その積み重ねが、子どもたちのこわばった心をほぐしていったのだと思う。
「あなたは今何の勉強をしていますか?」英語の授業を訪問した同僚が、生徒の一人に質問した。彼はこう答えた。「僕は、自分の未来をつなぐための勉強をしています」
子どもたちが明日も、ワクワクして学校へ来られるように、未来へつなぐために。私はヨルダンで、子どもたちから「生きがい」をもらって生きている。
※この記事はワールド・ビジョン・ジャパンの國吉美紗スタッフが執筆し、2015年3月13日付SANKEI EXPRESS紙に掲載されたものです。
この記事を書いた人
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イギリス、マンチェスターメトロポリタン大学にて政治学部卒業。
大学在学中にWFP国連世界食糧計画にてインターン。
2010年9月より支援事業部 緊急人道支援課(旧 海外事業部 緊急人道支援課)ジュニア・プログラム・オフィサーとして勤務。2012年9月よりプログラム・オフィサーとして勤務。2016年7月退団。
趣味:読書、映画鑑賞、ダイビング
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