「教育」と聞くと、たいていの人が、大切なもの、という認識をしているのではないだろうか。では「教育」が「緊急」なことと思ったことは、あるだろうか。
この仕事に携わるまで、私は教育を受けられることに、全く何の感謝もなかった。
学生当時の自分は受験勉強や、日々の課題や、テストに辟易しながら、苦手な美術や体育をしたり、家庭科をすることを、むしろ面倒くさいと思っていた。
恥ずかしながら、本当に学校に通えない子どもたちを目の当たりにして初めて、私は自分の環境が恵まれていたものだと、痛いほど思わされた。
紛争下において、また難民の人々にとって、食べるもの、飲むもの、寝る場所、洋服、そのような基礎サービスはもちろん重要だ。では、それだけあればその人は、安全で、危険から守られている、といえるのだろうか。
現在教育を受けられない子どもたちは、世界中に5千7百万人はいると推計されている。その中の半分以上が、紛争地にいる子どもたちだ。現代の紛争の潮流は、中・長期的なものが多く、難民キャンプで生まれた子どもが、18歳になるまでずっとキャンプの中で生活している、なんていうケースも珍しくない。
例えば18年間その子どもが教育を受けなかったとしよう。その子は多分、字を読むことも、計算することも、自分のおかれている状況をも、理解しないままに、キャンプで育っていく。小さなときからフェンスの中で生き、フェンスの中での生活がすべて。どうやってたくさんの人と、喧嘩をせずに意見を交わすのか、練習する機会もなかったから、わからない。
何が正しくて、何が間違っているのか、限られた大人からしか学ぶことができない。大きくなってキャンプの外に出て行きたくても、何をすればいいか分からない。文字が読めないから、仕事に就けない。
教育は、衣食住と同じくらい、その人の生活を「生活」たらしめるものなのだ。
学校へ通うことは、(理論の上では)子どもたちが安全な場所で学べるということだ。毎日の生活は苦しく、いつ自分の国に帰れるか不安な日々でも、学校にいってる間は、安全に、言いたいことを言い、友だちとふざけて笑い、自分の将来のことを考えられる。実際にそういう思いで学校に通う子どもたちはたくさんいる。
教育を受け続けることで、自分で問題を解決できる力、相手の意見を尊重すること、相手の話に耳を傾けること、自分を大切にすること、そういう能力を身に着けることも可能だ。
それは当たり前のように聞こえるかもしれないが、私たちの生活でなくてはならない要素で、それは「普通」の生活の第一歩にもなり、その人の財産になり、その人の力になる。
なにより集団生活をし、同じ年齢の子どもたちと遊び、学び、ともに成長するところに、私は子どもたちが前に進める鍵があると思う。それは家族だけではなしえない、コミュニティ全体での取り組みになっていくが、学校はその一部として、大きな役割を担っている。
戦争が起こっているからといって、教育を受けることを諦めていいのだろうか。
「でも緊急事態だから、仕方がない」ではなく、「緊急事態だから、教育を忘れてはいけない」と私は思う。
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6月20日は「世界難民の日」
シリアや南スーダンで内戦により他国に逃れて難民となり、
教育の機会を奪われている子どもたちのために、
難民支援のための募金を受付けています。
この記事を書いた人
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イギリス、マンチェスターメトロポリタン大学にて政治学部卒業。
大学在学中にWFP国連世界食糧計画にてインターン。
2010年9月より支援事業部 緊急人道支援課(旧 海外事業部 緊急人道支援課)ジュニア・プログラム・オフィサーとして勤務。2012年9月よりプログラム・オフィサーとして勤務。2016年7月退団。
趣味:読書、映画鑑賞、ダイビング
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