私が寝泊りしている宿には、裏庭のようなオープンスペースがあり、近所に住む人々が家族用テントを張って暮らしています。
そのほとんどは、家はあるけれど地震によりひびが入ったため建物の中では怖くて眠れない、地震の恐怖がよみがえるというのが理由から集まってきた人々です。彼らはここに住んでいるわけではなく夜になると近所から通ってきています。
ここ数日、その人数がめきめきと増えてきました。ざっと10世帯近くになったでしょうか。仲間意識からか、毎晩、1台のテレビを囲み音楽を大音量で流し、ドンチャン騒ぎが深夜まで続きます。
あまりの騒々しさに「夜もおちおち眠れやしない」と、ぶーぶー文句を言い始めたやや疲れ気味のワールド・ビジョンのスタッフたち…。
ところが最近、毎日のように少し大き目の余震が発生しています。先週、深夜に発生したのはとくに強く、マグニチュード4.7と伝えられました。
さすがのスタッフたちも即座に飛び起き外に飛び出すと、地元の人々と肩を寄せ合い恐怖を分かちあいながら朝まで過ごすことになりました。同じ恐怖を共に体験した仲間、こうなるとすっかり運命共同体です。むしろ外国人である私たちの方が戸惑いが多いかもしれません。
みなで文句をもらしていたこの夜の集いに加わる日も近い将来かもしれません。
それにしても、この国の建物の貧弱なこと…。
一見鉄筋コンクリートに見えるものでも、ものによっては、まったく鉄筋が入っていない、ただレンガが積まれただけなんていうものもあります。それだけに地震大国に育った日本人からすると大した揺れでないような地震でも、強く恐怖心があおられます。
すでに倒壊した建物の再建が進められている様子も街中のあちこちで見られるようになりました。
それ自体は、街の回復、ひいては雇用の創出にもなり望ましいことではありますが、また同じような類の構造物を建てようとしていることには危険信号があります。
この記事を書いた人
- 神奈川県生まれ。早稲田大学・同大学院理工学研究科にて、アジアの建築史について学ぶ。在学中に阪神淡路大震災でボランティアを経験したことから、防災や被災地支援がライフワークに。卒業後は建設コンサルタント会社に勤務。自然災害を中心とした国内外のインフラ事業に従事する。2008年6月、ワールド・ビジョン・ジャパンに入団。サイクロン後のミャンマー、大地震後のハイチで復興支援に取り組む。東日本大震災後は、一関事務所の責任者として岩手県に駐在した。2014年4月から、アフリカのスポンサーシップ事業を担当後、支援事業部 開発事業第2課に所属。2017年1月から2019年12月までネパール駐在。2020年1月退団。2024年4月、ワールド・ビジョン・ジャパンに再入団。ネパール駐在。
このスタッフの最近の記事
- 緊急人道支援2020年1月9日ワールド・ビジョンでの仕事を振り返って~「現場」とともにあった11年半
- アジア2018年12月25日世界のクリスマス(3)~ネパール:誰かを想うクリスマス~
- アジア2018年2月5日置かれた場所は途上国|5歳の息子と子連れ赴任:ネパール
- アジア2017年4月21日ネパール:支援地の「今」を知る