現在支援を実施している首都ポルトープランス以外の地域で、ニーズ調査を始めています。
これは地震に被災した人々が今どんな現実に直面し何を必要としているのかを知り、それらを受けて私たちが今後どこでどのような活動を実施していったらよいか長い目で検討する材料を探っていく調査です。
各地方で計600世帯を対象に行っているサンプル調査ですが、壊滅的な被害を受けた首都とは違う、また別の側面が見えてきます。
生計を失い物価も高騰し、支援に頼るあるいは物乞いをするしか術がない人々、ポルトープランスから家が倒壊した家族・親戚が引き上げてきたのはいいけれど、人数が増えたために食べ物がなくなって困っているという話。
畑が干上がって作物がとれないという嘆き。水質が悪く下痢に悩む子ども。地震からくるトラウマ、余震で安心して眠れずにいる話。見知らぬ人が街に増えたので治安が悪化しているという問題。人々の不安や様々な課題が浮かびあがります。
これを通して驚くような事実にも出会います。それは人々の口から「死」という言葉がいとも簡単に飛び出すことです。
-診療所が遠いので、必要な処置を受ける前に死んでしまう
-空腹で死にそう。健康に問題もあって明日にでも死んでしまう
-妹が水くみに行く道が悪くて足に怪我をした。ばい菌が入って死んでしまうかもしれない
-一緒に暮らしていた親戚が死んでしまったから、生計が立てられない
-寝ている間に地震が起きたら建物がつぶれて死んでしまうのが怖い
え、そんなことで死んでしまうの?と思います。
そしてこれは地震被災後の調査だからこのような回答なのかと私は安易に思ったのですが、震災前から変わらず存在する問題も多くあるというのです。
ハイチの人々の平均寿命は50歳。日本と比べれば30歳近くも差があります。今回の震災による死者は30万人に達したとも言われています。人口1,000万人程度の国でしたのでこの数字は全体の約3%にあたります。
今回の調査の中核を担うワールド・ビジョンの現地スタッフの多くも今回の震災の被災者です。
震災前から働くもともとのスタッフもいれば、今回の震災を機に新たに雇用されたスタッフも多くいます。今日も職を求める人々がワールド・ビジョンの事務所の門に行列をなしています。
そんな彼らも首都ポルトープランスから近隣地域へとニーズ調査へでかけ、その貧困を目の当たりにし多くを考えさせられたといいます。主体的に作業をもくもくと進める姿に、また「ここの調査結果の意味がよく分からないんだけど…」と申し訳なさそうに私が聞くと「分からないことは何でも聞いて。これは僕たちの調査なんだ。僕たちの責任で本当の必要を洗い出さなくてはならないんだ」と真摯にとりくむ姿勢に、どこか「手伝ってもらっている」という感覚だった私の襟がピーンと正された気がしています。
この記事を書いた人
- 神奈川県生まれ。早稲田大学・同大学院理工学研究科にて、アジアの建築史について学ぶ。在学中に阪神淡路大震災でボランティアを経験したことから、防災や被災地支援がライフワークに。卒業後は建設コンサルタント会社に勤務。自然災害を中心とした国内外のインフラ事業に従事する。2008年6月、ワールド・ビジョン・ジャパンに入団。サイクロン後のミャンマー、大地震後のハイチで復興支援に取り組む。東日本大震災後は、一関事務所の責任者として岩手県に駐在した。2014年4月から、アフリカのスポンサーシップ事業を担当後、支援事業部 開発事業第2課に所属。2017年1月から2019年12月までネパール駐在。2020年1月退団。2024年4月、ワールド・ビジョン・ジャパンに再入団。ネパール駐在。
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