首都ポルトープランスから、国連が運行するヘリコプターで北西にあるラゴナーブという島を訪れました。前回のブログの中でお伝えした現地ニーズ調査の結果を実際の支援につなげていくための事業地訪問が今回の目的です。
GPSロケーションのずれもあり降り立ったところは着陸予定地から1キロ程度はなれた広場、外に出るやいなやヘリコプターを察知した人々に取り囲まれることになりました。
状況を即座に理解できなかった私は、村の人々の歓迎か?とのんきにも勘違いしましたが、集まった人々は支援物資を待ち望んでおり、生活環境の苦しさや空腹を私たちにしきりに訴え始めました。
人だかりに身動きが取れなくなった私たちは、物資の配布をしに来たわけではないことを現地スタッフから人々に説明してもらい、その間、小高い丘に避難してほとぼりが冷めるのを待つことになりました。
何とも非力だなぁと痛感するひとときでした。
さて、この島での主な交通手段はろば。道はうねり路面状態の悪いこの土地で、移動に水くみにと重宝します。小さなこどもも、たくみに乗りこなします。ワールド・ビジョンがこれまで支援をしてきた事業地にある病院で出会ったおばあさんは、なんと20kmもの道のりをろばに乗って通院しているそうです。
これといった生計手段もなく人々の栄養状態は悪く、支援にあたる立場からみると課題だらけの地域です。でも、樹木が生い茂り小川が流れ美しい海岸のあるこの島、そして絶え間なくひびく村人の笑い声と笑顔に出会えたことは、首都とはまた異なるハイチの側面をみることになりました。 そして今後どのような事業を実施していったらよいか、少し進む方向が見えたように思います。
さて、いつ来るともしれない島からの帰りのヘリコプターを運動場で待っている間のこと。集まってきた子どもたちと簡単な遊びをしていると、一人の少年がなにやらみんなにうながされ、突如ラップを踊りはじめました。その見事なリズム感!感嘆をもらしつつ聞き入ります。
「自分が将来偉くなったらこの国を動かしてみせるさ」という果敢な内容のこのラップがこんな小さな子どもの口から生まれるのか、とハイチの人々の芯の強さを感じました。
観衆からの拍手喝さいの後、続けて一人の女性が前に踊りだし再びラップを始めます。聞けば少年の母親とのこと。
「私はこの国で、この島で育ったの。男性と同じように働くことだって何だってできるけど、その機会がないだけよ」という何とも勇ましい内容のこのラップに出会い、今後のハイチのジェンダー問題を考えていく上でも思いがけず貴重な機会となりました。
(余談ですが、ラップ大国ハイチで誰もが知っているラッパー、ダン・カトウのおかげで、この国で「カトウ」は知名度が高い名前なのだそうです)
この記事を書いた人
- 神奈川県生まれ。早稲田大学・同大学院理工学研究科にて、アジアの建築史について学ぶ。在学中に阪神淡路大震災でボランティアを経験したことから、防災や被災地支援がライフワークに。卒業後は建設コンサルタント会社に勤務。自然災害を中心とした国内外のインフラ事業に従事する。2008年6月、ワールド・ビジョン・ジャパンに入団。サイクロン後のミャンマー、大地震後のハイチで復興支援に取り組む。東日本大震災後は、一関事務所の責任者として岩手県に駐在した。2014年4月から、アフリカのスポンサーシップ事業を担当後、支援事業部 開発事業第2課に所属。2017年1月から2019年12月までネパール駐在。2020年1月退団。2024年4月、ワールド・ビジョン・ジャパンに再入団。ネパール駐在。
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