【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

Read Article

あるNGO職員の決断

自分の好きなことや興味のあることが仕事と一致していることほど幸せなことはないと思う。好きなことをしながら生活の糧を得られるのであるから申し分ない。私は、クリスチャンの価値観を基本に職業人としても働きたかったし、仕事を通して貧しい子どもたちに貢献したかった。

この両方を充たしてくれるワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)職員として私の25年間は、実に幸せであったと言える。一方、25年間でどれほど貧しい子どもたちに実際に貢献できたのかということは、主観的な自己評価はできたとしても、子どもたちからの評価を含めて客観的に顕すことが困難だ。

まぁ、25年間の中で支援額の総量的にはWVJもワールド・ビジョン(WV)全体も大きく成長し支援できる子どもたちの数も何倍にもなったので、私も組織の一員として少しは貢献したのではないかと合理的な推察はできるのだが…。

ミャンマーの支援地域の兄弟私にとって子どもたちへの貢献とは、途上国の貧しい子どもたちであり、日本を含む先進国の子どもはその対象にはなり得なかった。何故ならば、先進国の子どもたちは憲法や法律によって子どもの権利が保護されており、問題があればそれは政府が主体となって取り組む体制があり、NGOが支援する場ではないと思っていたからである。

ところが家庭を持ち4人の子どもを育ててみると、行政では届かない子どもを取り巻く様々な問題が存在していることに気付かされた。

特に児童虐待の問題は深刻で1990年以降その件数は急速に増加し、現在では年間6万件以上のケースが全国の児童相談所に寄せられている。そして問題ないと思っていた日本で今、虐待の犠牲になった子どもたちのケアは行政の支援だけでは立ち行けなくなっている。

WVではMVC(Most Vulnerable Children/最も脆弱な子どもたち)を最も支援の優先順位の高い子どもたちと位置付けている。定義の根拠となる指標は、国や状況によって異なるので詳細には触れられないが、基本的には肉体的、物質的にニーズの高い子どもたちが、最も脆弱な子どもたちにあたる。

私は、ある時から物質的に充たされていても、虐待を受け、負いきれない痛みや重荷を小さな体に背負って必死で生きている子どもたちと接する機会が与えられている。彼らの痛みや重荷を想うたびに、“私にとって、誰が最も脆弱な子どもたちか”という問いが心に迫ってきた。

これは私にとって神からの問に聞こえた。その問いは、ある時は、“途上国の最も脆弱な子どもたちのためにしっかり仕事をしなさい”と聞こえ、またある時は、“日本の最も脆弱な子どもたちのために何かしなさい”とも聞こえた。

特に虐待により子どもたちの命が絶たれるような事件のニュースを聞くたびに後者の声は大きくなっていった。そして虐待の加害者である親たちも多くの場合は、幼いころ虐待の被害者であったという事実に怒りではなく深い悲しさを覚えた。“親が悪い、親の責任だ!”と言って切り捨てるのは容易いが、それでは同胞として隣人としてあまりに冷たく、また無責任なようにも思われた。

支援地域の子どもたちの画像“神の問”に対して答えを求めながら過ごす時期は数年を要した。その間、祈りながら虐待を受けた子どもたちのケアをしている方々や専門家の生の声を聞く機会も与えられた。そしてある時、ふと考えた。

“自分は50数年前に開拓農家の家に生まれ、小学校低学年当時の貧困の程度といえば今の東南アジアの農村部とかわらない。家には電気は通っていたが、水は井戸から汲み煮炊きは釜戸からようやくプロパンガスを使えるようになっていた。食べ物は麦飯やうどんが主食ですぐにお腹が空いた。

恐らく当時の日本の平均的な子どもたちより貧しかったが、両親の愛情と保護の中で幸せな日々を送っていたのではないか。しかし、もし私が街の裕福な家庭に生まれ何不自由ない生活を与えられたとしても、親から愛されず虐待をうけていたら、どんなに辛かっただろうか? そしてその後、どんな人生を歩んでいただろうか??”

聖書はこんなことを言っている。「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎しみ合うのにまさる」この実に単純だが深淵な言葉により“私にとって、誰が最も脆弱な子どもたちか”との問いの答えが見えてきたような気がした。

そしてその具体的な道を模索して行くことにした。途上国の貧しい子どもを支援するためにNGOで働くことは、神から与えられた天職だと思っている。そして模索して与えられた道は、NGOではなく傷ついた日本の子どもたちを保護する社会福祉施設である。しかしこれも神から与えられた天職だと思っている。

私は子どもが好きだ。そして今、“私にとって最も脆弱な子どもたち”のために何かできることをこの上ない幸せと感じると同時に、プロとして傷ついた子どもたちの人生に関わることへの畏れを全身に感じている。

この記事を書いた人

高瀬一使徒
大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
このスタッフの最近の記事
Return Top