【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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ミャンマーでの思い出

ミャンマーの子どもたち

ミャンマーの子どもたち

ミャンマーを強いサイクロンが襲い大きな被害が出ています。
ワールド・ビジョンなどの多くの援助団体が支援を始めていますが、軍政府による入国制限などもあり、その支援の手が本当に必要な人たちに届いていないのではといった報道が連日されています。サイクロンによる家屋の被害もさることながら、これから衛生面などに影響が出てくることが心配されます。

私はこれまでミャンマーへは2回訪問しています。初めて訪問したのは98年12月のことです。私はそのときバングラデシュに長期滞在しており、休暇を利用してミャンマーを訪れました。その際に、ミャンマーで癒される思いをして帰ったことにふれたいと思います。
ある寺院へ訪問したときの事です。ミャンマーでは多くの寺院では入り口で靴を脱いで裸足で中に入るようになっており、そこでも入り口では靴箱のようなものがありました。しかし、そのそばには中年のおばさんが立っていました。そして、ニコニコと私の方に会釈をして、靴を渡してくれればこの箱に入れてあげるよというそぶりをしました(英語が通じないので)。

ミャンマーの子どもたち

ミャンマーの子どもたち

しかし、過去にバングラデシュやネパールインドなどに旅行などをした際には、空港や駅、観光地などでは、荷物を持ちます、案内します、などと言って近寄ってきて、結局はお金をほしがられた経験があったので、今回もそのような目的だろうを思って、おばさんの申し出を断り自分で靴箱に靴をいれて寺院の中に入りました。その時はそれで終わったのですが、次の寺院でも同じように靴を預けるところにおばさんがいたので、その時はあとでいくらかのお金を出すことになっても仕方ないと思い靴を預けて寺院の中を回りました。見終わって入り口に戻ってきたときの事です。靴を返してくれたときにおばさんはニコニコと微笑んで靴を取り出してくれました。私の期待(?)に反して、何の要求もしません。それどころか、かぶっている帽子で靴のほこりをはらってから、靴を渡してくれたのです。そして、微笑みながら挨拶をして見送ってくれたました。私も、さようならと挨拶をしながらその寺院を後にしましたが、心の中は、人の親切を信用できなくなっているほど自分の心が荒れ果てていたことに気づく一方で、このおばさんの見返りを求めない親切によってそのすさんだ自分の心が癒されたように感じました。合計で1週間足らずのミャンマーでの滞在でしたが、ミャンマーの人々の親切と微笑みに癒された旅でした。

そのミャンマーで、未曽有のサイクロンの被害が起こりました。あのときのおばさんは無事でしょうか?
一日も早くワールド・ビジョンを含む各支援団体からの援助が必要な人々に届き、元の生活が取り戻されることを願ってやみません。

ミャンマー・サイクロン緊急援助のようすはこちら

この記事を書いた人

今西浩明
今西浩明支援事業部 部長
1983年大阪府立大学農学部農芸化学科卒業後、総合化学メーカーの日産化学工業株式会社の農薬部門で6年間勤務。同社を退職後、1989年11月より3年1カ月間、国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊員としてバングラデシュへ派遣され稲作を中心とした農業・農村開発の活動を行う。その後、青年海外協力隊調整員として3年6カ月ネパールに滞在、次いで青年海外協力隊シニア隊員として再度バングラデシュに派遣されモデル農村開発プロジェクト・協力隊グループ派遣のリーダーとして2年3カ月間、農村開発の業務に携わる。
2000年9月より米国フラー神学大学院世界宣教学部(Fuller Theological Seminary, School of World Mission)へ留学、異文化研究学修士(MA in Intercultural Studies)を取得。ワールド・ビジョン・インディアのタミールナドゥ州パラニ地域開発プログラム(Palani Area Development Program) での4カ月間のインターンシップをはさんで、2003年9月より英国サセックス大学大学院に留学、農村開発学修士号を取得する。
2004年12月国際協力機構(JICA)アフガニスタン事務所企画調査員として8カ月間カブール市に滞在。2005年9月よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、支援事業部 部長として勤務している。
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