ワールド・ビジョン・ジャパンは、前回のブログでご紹介した帰還民への生計回復支援活動の他にスリランカ北部で実はもうひとつ活動を実施している。
こちらは助成金ではなく、皆さまからいただいた募金で実施している活動で、内戦で破壊された学校・幼稚園の修復・改築と、学校で子どもたちや先生方を対象とした災害対策研修支援(洪水や干ばつ、津波の危険が大きい地域である)を行っている。
2011年末までに学校1校の修復と備品の寄贈、幼稚園2園の修復を実施した。
先日、新たに3つの幼稚園の改築が完了し、開園式が執り行われた。
未舗装の道路を行けども行けどもなかなか到着しない農村の真っただ中にある幼稚園なのだが、教育局や地方政府からも代表者が出席するので、アクセスの悪いこれらの幼稚園の開園式を1日にまとめ、全てをはしごすることになったのである。
この地域は特に内戦の被害が大きかった場所で、周辺にはまだあちこちに内戦の激しさを彷彿とさせる痕跡が残っていた。
爆撃で破壊されたらしい廃屋があちこちに放置され、住民の住居はほとんどが木の枝やビニールシート、ヤシの葉やトタン、廃材などでできた小さなもので、辛うじて日々暮らしているといった様子である。
そんな中に新しくできた幼稚園はちょこんと建っていた。明るい色で塗られた壁に赤い屋根。今日の式典のために花や植物の葉などで素朴な美しい飾り付けがされたその空間はとても暖かく平和に見えた。
可愛らしく着飾った子どもたちが先生に促されて、花のレイを首にかけてくれた。
式典は国旗掲揚から始まった。現在スリランカ北部では住民が集まる場には必ず軍(現在、スリランカ軍はほぼ100%シンハラ人で構成されている)の同席が義務付けられているが、ここでも軍服を来た軍人が式典に参加していて、国旗掲揚は軍人の役割であった。
青空にスルスルと上っていくスリランカ国旗。続いて流れるスリランカ国歌。
スリランカからの分離独立を目指して敗れたタミル人武装勢力の本拠地だったこの地で、今住民たちはどのような想いでこの国旗がはためくのを見ているのだろう。しかし集まった住民たちの表情からは何の感情も読み取れなかった。
テープカットをして新しい園舎に入ると、祈願のロウソクがゲストに火をつけられるのを待っていた。園舎は教室が1つだけで、家具もおもちゃもなく、きわめてシンプルだが、瓦屋根のため外は暑くても中は涼しく、大きな窓からは光と風がふんだんに入ってきて、とても明るく居心地がいい。
なめらかなセメント造りの床もひんやりして素足に気持ち良かった。精一杯のおしゃれをして来たらしい保護者や子どもたちが静かにゲストや先生のスピーチ、子どもたちの歓迎のダンスを見守っていた。
ここで子どもたちはどんな幼稚園生活を送るのだろう。通って来るのは3歳から5歳の子どもたちである。年齢からするとちょうど状況が最も過酷だった内戦末期に生まれたことになる。
乳飲み子を抱えてこの子たちのお母さんはどれほど苦労しただろうか。守りきれなかった命もおそらく数多くあるだろう。
人生のごく初期に悲嘆と恐怖に満ちた苦難の時代を過ごしたことは、人生にどれほどの影を落とすのだろうか。私はこの子たちの笑顔が少ないことが気になっていた。
見知らぬ外国人を前に緊張するのは普通の反応だが、すぐに普段のいたずらっぽさを取り戻し、屈託のない笑顔を見せてくれるのが子どもたちの常だ。
しかしこの子たちの表情は硬く、どこか虚ろな気がした。それは大人たちも同様だった。
私は心の中で話しかける。君たちはこれからこの新しく明るい幼稚園で毎日たくさん遊ぶんだよ。未来を担う君たちはいつだって人々の希望の砦だ。君たちがこれからは平和で幸せに暮らせるようにみんな一生懸命努力している。
だから毎日くたくたになるまで友達と遊んで、歌って、踊って、心から笑ってほしい。内戦の記憶など遠い忘却の彼方へ蹴散らして、子ども時代の記憶を全て幸せの色で塗り替えるほどに。君たちが笑ってくれたら、大人たちも元気が出るのだから。
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