【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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置かれた場所は途上国|フィリピン -NGOスタッフとしての原点-

初めての途上国、ピープル・パワー革命!

1985年、私は初めて途上国と呼ばれる国を訪れました。訪問先はフィリピン。当時はまだ学生で、ワークキャンプということでスラムの学校のペンキ塗りなどの労働を地域の同世代の青年たちと共にする、というプログラムでした。自分と同じキリスト教信仰を持ち、同時代を生きるフィリピンの若者たちが、大きな社会格差、戒厳令など独裁政権下での弾圧や言論統制の中、強く、しかしユーモアにあふれて生きる姿に感銘を受けました。のちに途上国の地域開発を学ぶためにフィリピンに留学、現在までその仕事を続ける私の原点は、この最初のフィリピン訪問にあると言っても過言ではありません。

フィリピンの子どもたちと平本スタッフ(2017年撮影)

フィリピンの子どもたちと平本スタッフ(2017年撮影)

独裁政権として国際的にも非難をあびるようになったマルコス大統領に対して、軍の一部と民衆がたちあがる「ピープル・パワー革命」が起きたのは翌年のこと。1986年2月25日、同大統領は亡命。無血による政変によりコラソン・アキノ氏が大統領に就任しました。

前年の体験に感化され、アルバイトの資金をつぎ込んで航空券を買った私のフィリピン再訪とこの出来事が重なりました。エドサ大通り、そしてビジネス街のマカティにあふれかえった人々の喜びの顔とその熱気にただただ圧倒されました。

フィリピンは、東ティモールを除けば東南アジア唯一のキリスト教徒が多数を占める国。国民の約9割がカトリック信徒です。スペイン植民地時代に広まったキリスト教は、宗主国の統治の手段になったとされる半面、歴史に残るこの反独裁政権闘争では、貧困層も巻き込んだ大衆運動としてのうねりにも大きな役割を果たしたと言われています。主に中南米のカトリック司祭により提唱された解放の神学は、ここフィリピンでも草の根の宣教の中に根付いていました。

「この現実を見てください」スラムで子どもたちに給食を配るシスターは語りかけました。スモーキー・マウンテンと呼ばれるゴミの山の中にもカトリック教会の礼拝堂は建てられていました。そこから百メートルも離れない壁の向こうにはきれいに着飾ったミドル・クラスの人々が通う教会があり、そのギャップに打ちのめされました。私は、そして私の国の立ち位置はどこにあるのか、深く考え始めることになります。

 

幸福度世界第2位の国、フィリピン

1986年のピープル・パワー革命を目の当たりにして、それから何度もフィリピンへ通うようになり、ついには91年から92年にかけて首都マニラの大学に留学をすることになりました。入学したのは、ソーシャルワーカー/地域開発ワーカーの人材養成課程。校舎はプレハブで、先生はジーパンなどラフな格好で講義をし、学生の多くが地域で活動をしていて、現場での仕事の合間を縫って授業に出てくるため、Tシャツにサンダル姿の者もいました。

「人々の益になる本当の学びは教室の中ではなく、人々が住む地域のその生活の中にあるのだ」、“Go to the People”(民衆の中に出ていき、共に生きろ)というスローガンの下、学生たちにもみっちりとフィールド・ワークが課せられていました。私も半年にわたって市内の歓楽街で働く労働者たちへのHIV/エイズ予防・啓発事業に携わらせてもらいました。加えて休みにはスラムに住む知人宅に泊めてもらったり、南はイスラム教徒、少数民族の住むマレーシア国境近くから北はルソン島山岳部まで旅をしたり、フィリピンの多様性に触れることができました。

「痛い痛いって言ったら、医者が耳元で『300ペソ、300ペソってささやくのよね』。痛み止めの薬代を出すお金なんてないから我慢しちゃった」、と笑い飛ばすように語ってくれたのはフィールド・ワークで出会った女性。貧しく学歴もないため歓楽街で働く中、妊娠をし、シングル・マザーになる決意をした彼女の笑顔は、その困難な状況にもかかわらず、たくましさすら感じられました。

フィリピンの子どもたち

フィリピンの子どもたち

毎年行われている『世界幸福度調査』(米国の世論調査会社ギャラップ・インターナショナルとWINによる共同調査)によると、2017年のフィリピンの幸福度は世界第2位だったそうです。同じ調査で日本は25位。物質的、経済的に豊かといわれる日本よりも、経済的に困難が多いフィリピンの人々の方が「幸せ」と感じているのだそうです。フィリピンの貧しい人々に出会うたび、こちらが何かをしてあげるよりも、何か大切なものを教えてもらう経験をします。

 

国際NGOで働く初心に立ち返って

2017年9月、ワールド・ビジョン・ジャパンのフィリピン事業担当として、18年ぶりにフィリピンの地を踏みました。首都マニラの街中には立体交差がはりめぐらされ、高架の上を走る高速道路もあります。ビジネス街にしかなかった高層ビルが市内各地に増えた一方、昔とほとんど変わらない市場や屋台、スラムも見えにくくなったものの市内に点在していました。富を国や地域の一部に集中させ先進国と変わらない暮らしが享受できるようにする一方、残りの地域や人々を取り残す、グローバリゼーションの波がこの国にも着実に押し寄せていると感じました。

担当する事業地は、フィリピン中部ビサヤ地方のレイテ島、サマール島。マニラから飛行機で1時間弱の距離です。そこには昔と変わらないのどかな南国の地方のくらしがありました。そんなのどかな島々を巨大な台風が襲ったのは2013年11月8日。竜巻に匹敵するような強風と高潮がビサヤ地方の島々を縦断しました。台風の進路にあったレイテ島の住宅や構造物の約70〜80%が破壊され、数千人に上る方々の命が失われました。

事業地に住みワールド・ビジョンのチャイルド・スポンサーシップによる支援を受けるステファニーちゃん(7歳)の家も倒壊。幸い、家族は全員無事でしたが、お父さんは仕事を失いました。ワールド・ビジョンからは仮設住宅や生活備品の支援を受け生活再建を始めた一家。その後、建設現場で働き始めたお父さんの収入はわずかですが、ワールド・ビジョンの支援を受けてお母さんは少ない収入を万が一の時のために貯蓄したり、養豚をして日々の食費や教育費をやりくりしています。ステファニーちゃんは今年、小学1年生。ワールド・ビジョンの支援で手にした通学かばんを嬉しそうに見せてくれました。

富の偏在や地球温暖化など、まだまだ課題が山積みのアジアの隣国フィリピン。そんな地で懸命に生きるステファニーちゃんのような子どもたちとその地域の人々の笑顔を支えるために、また初心に立ち返って励もう、と決意を新たにしました。

(この文章は2018年2月にキリスト新聞に掲載された記事の転載です)

通学カバンを受け取り嬉しそうなステファニーちゃん(前列左)と家族

通学カバンを受け取り嬉しそうなステファニーちゃん(前列左)と家族

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この記事を書いた人

平本実支援事業部 プログラム・コーディネーター
国立フィリピン大学社会福祉・地域開発学部大学院留学。
明治学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修了。
社会福祉専門学校の教員を経て、2000年1月より社団法人日本キリスト教海外医療協力会のダッカ事務所代表としてバングラデシュへ3年間派遣。
2004年12月から2007年3月までは国際協力機構(JICA)のインド事務所企画調査員。
2007年9月から2年半は、国際協力機構(JICA)のキルギス共和国障害者の社会進出促進プロジェクトで専門家として従事。
2010年9月、ワールド・ビジョン・ジャパン入団。
支援事業部 開発事業第2課 プログラム・オフィサー。
2020年3月、退団。
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