人と人をつなぐものは様々ある。あるきっかけで瞬時にしてまったくの赤の他人が特別な人になることがある。
悪いケースだが、何も起こらなければ会うこともないであろう人とたまたま交通事故を起こしてしまったら、被害者と加害者というような特別な関係になってしまう。これはその他の争いや事件などのケースもそうかもしれない。
そう考えてみると良い意味で、赤の他人がある日突然に特別な人になるケースは、一目ぼれ以外にあまり思いつかない。
ワールド・ビジョン・ジャパンでは7万人以上の方々がチャイルド・スポンサーとして、途上国の子どもたちを支援しているが、特別な人として子どもたちを支援している人もいる。
それらの方々にとっては、チャイルドの写真やプロフィールを手にした瞬間からチャイルドは特別な人になるのであろう。
そして特別な人が住む国はもはや他人の国では無くなってしまう。たとえば、チャイルドの住むインドで大洪水が起ったというニュースが流れれば、「私のチャイルドは大丈夫でしょうか?」という問い合わせの電話が必ず事務所にくる。
その方々にとってチャイルドの住む国は特別な国になるのだ。
10年以上昔になるが、南米エクアドルで大きな地震が起こった。
幸い山間部の被害は大きかったものの人的被害は小さかった。
そのニュースはある全国紙の国際面の片隅に小さな記事として載ったが、記事の載った朝、私は一人のスポンサーの方からの電話を受けた。
その方のお住まいも山間部であり、お国なまりの入った言葉にはチャイルドへの心配が溢れており、チャイルドが無事かどうかを確認してほしいというものであった。私は新聞記事が載る前に、すでにFAXでワールド・ビジョンの支援地は特に被害はないという報告をワールド・ビジョン・エクアドルから受けていたので、「ご安心ください、チャイルドの住む地域には被害はありません」と答えることができた。それを聞くと本当に安心されたようで、最後に「どうも、ありがとうございます」といって電話をお切になった。
この方にとってエクアドルは特別な国になっているのだと思った。
それはそこに特別な人が住んでいるからだ。
普段の生活ではほとんど接点のない国、もちろん行ったことも無い遠い遠い国が特別になったのだ。
また、逆のケースもある。
数年前当事支援事業を実施していたタイのスリン県を訪問し、収入増進事業の進捗具合をチェックしていた時のことである。
幾つかの協同組合を訪問して次の場所へ行く途中、猛暑で乾ききった喉を潤すため、道沿いにある小さな雑貨屋に寄って飲料水を飲んでいた。すると店のおかみさんが私たちの車のボディーにあるワールド・ビジョンのロゴに気づき、満面の笑顔で「私の子どもはスポンサー・チャイルドだったのよ」と話しかけてきた。
おかみさんは、「見てあの家!」と店の隣に立っている小さな小屋を指差していった。
「私たち以前はあの家で住んでいたの、でもワールド・ビジョンの収入増進プログラムで店を持ち、徐々に拡大して今は住居兼用のこの店をたてたの」と語ってくれた。そして私が日本から来たことを知ると、奥に居た家族全員が出てきて私に挨拶をしてくれた。口々に「コップン・カー、(ありがとう)」と言ってくれた。
そして一人の方が二階の住居から一つのブリキの箱に大切そうに私たちの前に持ってきたのだった。
その中には、日本のスポンサーから届いた沢山の手紙や写真があった。
家族の人たちは懐かしいスポンサーの写真を見ながら口々に、「彼女は、東京の近くに住んでいて、航空会社で働くフライト・アテンダントで、お子さんが一人いて、毎年クリスマス・カードを贈ってくれた」などと言って遠くに住む家族を自慢するように私たちに説明してくれた。
支援を受けていたチャイルドはすでに高校を卒業し働きにでていた。チャイルドと家族は随分前にワールド・ビジョンの支援から卒業しているにも関わらす、この人たちにとってスポンサーは相変わらず特別な人で彼女の住む日本も特別な国であった。
途上国の貧困を取り巻く状況は複雑でそれを変えて行くのには、長期の支援が必要である。そのためにチャイルド・スポンサーシップは、大変に有効な支援だと思う。
そして途上国の子どもたちの貧困の生活を変えるだけでなく、支援するスポンサーとその国、そしてチャイルドとその国を結ぶプログラムであることを、スタッフとして大変に誇りに思っている。
チャイルド・スポンサー及びご支援者の皆様、今年一年ご支援を、支援地に住むチャイルドに代わり心よりお礼申し上げます。
クリスマスと新年によせて、皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
Merry Christmas and A Happy New Year !
この記事を書いた人
- 大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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