人の親になって初めてわかったことがある。
「親は子に最高のものをあげたいと願っている。」ということだ。
特に親不孝者の私は、一人暮らしのアパートにわざわざ高い輸送費を払って送ってくる両親からの季節ごとの花や野菜の意味がわからなかった。
「こんなの近くのスーパーにもあるのに」とため息混じりの独り言をつぶやきながら感謝もせず送られた物を無造作に台所の隅に置き去りにすることしばしばであった。ある時など開花寸前の藤の盆栽が何重にも梱包された大きなダンボールで送られてきて、感謝どころか怒りの電話で応対する始末であった。藤の鉢は小さなベランダに置かれ花を咲かせ、世話をされることもなく数ヶ月で枯れていった。
それから数年が経ち結婚し子どもが生まれた。
自分には子どもを愛する気持ちが充分にあるのか不安であったが、病院でその顔を見たとたんに親の気持ちが沸いてきたというか神様に与えてもらったというか、兎に角、この子のためなら何でもできると思った。
誕生前は基本的には妻に任せておけば良いと思っていた育児にもできるだけ参加したいと思った。
そしてオムツの取替えからお風呂まで何でも楽しかった。ある時買い物に行って分かった。
薬局のオムツコーナーには5、6種類のメーカーのものが競うように並べられ、通常妻の買うオムツは一番エコノミーなものだったのだ。エコノミーといっても機能的に差があるわけでもなく、マンガ・キャラクターなどの模様がついていて充分にかわいいし、あまり気にも留めなかった。
しかし出産祝いということで知人から頂いた一番高いメーカーのオムツを使った時に驚いた。
普段使っているものより圧倒的にソフトであり、オムツ漏れの機能も優れていた。
それ以来、エコノミーオムツを買う自分に気持ちの中に親としても若干の後ろめたさを覚えたのだった。
「ごめんね、最高のオムツでなくて、、、。」
エコノミーオムツが赤ちゃんの身体的・精神的な発育に支障になるわけでもなく論理的には簡単に割り切れるものだが、それでも割り切れない親の気持ちを教えられた。
そして、誠に遅まきながら花や野菜を送ってくる我が親の気持ちが痛いほど分るに至り、心疼いた。
「親は子に最高のものをあげたい。」
この視点で途上国の親たちの子どもに対する思いを巡らすとはやり心疼く。
オムツどころか満足に赤ちゃんに食べさせてあげられない親の気持ち。
熱が出ても病院も薬もない中で苦しむ子どもを看病する親の気持ち。
制服や文房具が買えないためわが子を学校に通わすことのできない親の気持ち。
「全ての人に何もかもできなくても、誰かに何かはきっとできる。」
20数年前独身だった当事、一人の子どもを支援する思いで始めたチャイルド・スポンサーシップ。
今は一人の子どもとその親に思いを馳せながら支援を続けている。
この記事を書いた人
- 大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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