11月の末からスリランカに赴任している。北部のワウニアという町だ。
その昔、教育学部の学生だった時にはよく「先生になるの?」と訊かれた。協力隊の村落開発普及員として赴任する時は「井戸を掘るの?」と訊かれた。(どちらも答えはノーだったが)今回、スリランカに赴任することが決まった時は「何をするの?」と訊かれた。なるほど、NGO職員が海外に行って何をするかについては世間一般に固定したイメージはないらしい、と周囲の反応を見て思った。
結論から言えば、ワールド・ビジョン・ジャパンがスリランカで実施している支援活動プロジェクトが適切に運営されるために必要な業務を行うのが今回の私の任務である。分かるような、分かんないような説明だなと我ながら思う。
ワールド・ビジョンと言えばチャイルド・スポンサーシップを思い浮かべる方が多いと思うが、実は私が所属する緊急人道支援課はスポンサーシップとはまた別の事業を手がけている。自然災害や紛争が起こった国や地域で人道支援を行うのだが、そのほとんどは国連や政府、民間団体などからの助成金と一般の方々から寄せていただく募金で実施している。この募金はスポンサーシップでいただくご支援金とは別のもので、クリスマス募金や緊急人道支援募金などに寄せていただくものだ。助成金事業であっても、ほぼ必ずNGO側の負担も必要なので、募金が集まらなければ助成金事業も実施が難しくなる。チャイルド・スポンサーになってくださっている方にも時折、募金のお願いが届くのはそういう事情によるのである。
さて、今回私が担当するのはワールド・ビジョン・ジャパンが2009年からジャパン・プラットフォームの助成金を得て実施しているスリランカ北部での帰還民支援事業である。耳にされたこともあるだろうが、この国では長い間、内戦が続いていた。そう、実に26年にも渡って。多数派を占めるシンハラ人優遇政策に反発して、少数派のタミル人が北部の分離独立を目指した闘いは2009年5月、シンハラ政府の勝利という形で終結した。
内戦末期の2008年以降、北部の状況は急激に悪化し、多くのタミル人らが避難民キャンプでの生活を余儀なくされた。内戦終結後、多くの人が故郷に戻ったが、すぐに元の生活に戻れるわけではない。なにしろ、長期の内戦のためにさまざまなものが破壊されているのだ。
実は私は長い間、内戦をそれほど深刻なものとはとらえていなかった。外国との戦争と違ってとんでもない大量殺戮兵器が登場するわけではなし、兄弟ゲンカのようなものじゃないかと漠然と感じていた。それがどれほど大きな間違いだったかを思い知ったのは、青年海外協力隊で赴任したエルサルバドルだった。80年代に激しい内戦を体験したその国に私が赴任したのは内戦終結から10年以上もの年月が経った頃だったが、内戦が残した傷跡は驚くほど深かった。
外国との戦争が国外の敵に対して国民を多少なりとも一致団結させる作用を持つとすれば、内戦は真逆だ。国民同士の間で生まれた疑いや憎しみは国の内部をズタズタに引き裂いて分断していく。自分を傷つけたり、家族や友人を殺したりした、元「敵」も同じ国内に(場合によっては同じ地域内に)いて、紛争終結後もずっと一緒に暮らしていかなければならない。だから内戦後の「和解」のプロセスは非常に重要なのである。口で言うほど簡単なことではないのだけれど。また紛争の原因は往々にして根が深く、例え紛争が止んでもその原因は解決されていないことも非常に多い。
初めて降り立ったスリランカは緑が豊かでとても美しい国だった。人々の穏やかで人懐こい笑顔からは、この国でほんの2年ほど前まで内戦が続いていたとはとても信じられない。しかしその痕跡はあちこちにまだ生々しく残っている。世界銀行の報告書によると紛争後の社会はその44%が5年以内に紛争状態に逆戻りするという。スリランカの紛争は終わったけれど、その原因は完全に解決に至ったわけではない。しかし26年の内戦に疲弊した人々が平和を求める気持ちもとても強い。このまま平和が定着するのか、それとも再び紛争状態に逆戻りしてしまうのか―。今、この国は正念場を迎えているのかもしれない。
この記事を書いた人
このスタッフの最近の記事
- アジア2016年3月21日【東ティモール】事業終了、その後は
- アジア2016年2月29日[東ティモール]トイレ巡回、進行中
- アジア2015年11月18日ティッピー・タップで手洗いを!
- アジア2015年10月8日東ティモール事業、3年目