南部アフリカの小国、スワジランド東部の、とある農村に関する書類にあった一節です。
「この村では、ここ数年の干ばつで農業が成り立たず、父親が南アフリカに出稼ぎにいくケースが増えている。しかし行った先で新しい『家族』ができ、経済的にも安定し、いつしか自分を待つ元の家族のことを忘れてしまう男性が少なくない。残された家族は年寄りと女性、そして子どもたち。彼らが荒れた土地に立ち向かっても、自分が食べるだけの収穫を得ることさえ難しい。こうして貧困の悪循環が進んでいる。」
憤りを覚える前に、とにかく、とにかく驚きました。驚いた理由はふたつです。
ひとつは当然、こんなひどい父親の存在です。というか、こんなひどい父親を小さな農村で何人も出してしまう貧困の恐ろしさに改めて驚愕した、とでもいいましょうか。父親が持って帰ってくる収入だけを頼りに生きていたであろう、残された家族にとっての厳しすぎる現実に、少なからずショックを受けました。
もうひとつは、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、こういうことが書類にさらっと書いてある、ということに、これまたとても驚いたのです。
私はワールド・ビジョン・ジャパンに入るまで、長い間、政府開発援助(ODA)の世界にいました。だから途上国の貧困や現実は、それなりに目にしてきたつもりです。けれど、ODAのプロジェクトの書類では通常、こういった現実を、客観的な経済・社会指標で「表現」するのです。このスワジランドの家族のようなヒューマンストーリーが書かれていたことはまずないと思います。プロジェクトの規模が大きいこと、検討の視点がNGOと違う、ということが主な理由だと思います。とにかく、私は見慣れていなかったわけです。もう少し正直に言えば、ちょっと違和感を覚えたりもしました。
けれど、この臨場感あふれるストーリーを読んでから、行ったことのないスワジランドに住む人々の姿や顔が急に私の頭にイメージとして広がってきたのです。そして彼らが貧困から脱出し自立していくには、何をしたらよいのだろう、と考えがめぐり始めました。急に、現地の人たちが近くに感じられたのです。
ODAでは、日本人の血税を使うのだから、この支援は日本からだとわかるように宣伝することが戦略的に重要だ、と言われています。いわゆる、「顔の見える援助」、です。これはこれでとても正しいと思うのですが、このスワジランドの一件があってから私は、「顔が見える」のは支援する側だけでなく、支援される側、つまり途上国の人たちの「顔」を見ることも大切なんじゃないか、と思うようになりました。言いかえれば、彼らの問題をより深く共有し、より真剣にどうしたらよいか一緒に考えていくために、よりよい支援のために、私はもっと、彼らの顔を見る努力をしなければいけないなぁーと、そんなふうに考えるようになりました。
大規模でインパクトがあり、政策レベルの国づくり支援ができるのがODAの醍醐味だとすれば、よりミクロの視点で現場のひとりひとりと向き合いながら、その日々の生活について、一緒に考えていけるのがNGOの醍醐味なのかもしれません。これから、どんな現場でどんな出会いに恵まれるのか、楽しみなのと同時に改めて襟を正す思いです。
この記事を書いた人
- 青山学院大学を卒業後、国際協力銀行(JBIC)前身のOECFに入社。途中英国LSE(社会政策学)、オックスフォード大(開発経済学)での修士号取得をはさみ、アフリカ、インドネシア、フィリピンにおいて円借款業務を担当。母になったことを契機に転職。東京大学にて気候変動、環境、貧困など21世紀の課題に対応するSustainability Scienceの研究教育拠点形成に従事。「現場に戻ろう」をキーワードに08年10月よりWVJに勤務。アフリカ、中南米、ウズベキスタンを担当。2011年5月より、東日本緊急復興支援部長。2013年4月より副事務局長。2017年4月より事務局長。2020年4月より現職。青山学院大学非常勤講師、JICA 事業評価外部有識者委員、JANIC理事、日本NPOセンター副代表理事
このスタッフの最近の記事
- 事務局2024年5月7日アンドリュー ― ワールド・ビジョンCEOの横顔
- 事務局2024年5月7日ワールド・ビジョンのCEOはどんな人?
- 事務局2022年10月12日議論する力、やりぬく力
- 事務局2021年10月8日苦しいときこそ、原点回帰。そのスイッチは・・・?