【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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あるNGO職員 at カトマンズ エアポート -その2

*戦闘モード オン

ネパールの親子

ネパールの親子

数日間の短期出張であったがその目的をほぼ達成をした私はホテルをチェック・アウトしWVの車で空港へ向っていた。目的達成の満足感より困難が予想されるこの国への支援に対する不安から心はふさいでいた。しかしドライバーと別れの挨拶を交わし空港へ入るなり、例のスイッチは入りふさいだ心は戦闘モードに変換されていった。“まくれ、まくれーぇ、チェック・インだ、イミグレだ、セキュリティ・チェックだ!”と今回も緊張感の中に1歩前の精神でスムーズに空港内の出国プロセスを済ませていった。そして後は搭乗を残すのみと思っていたが、なんと搭乗ゲートのエリアへ行く前にもう1つセキュリティ・チェックがあった。しかも2つしかないゲートにすべての搭乗客が押し寄せており、それぞれ30メートルほどの列をつくっていた。さらに旧式の機械を使っているせいか、2つの列は遅々として動かない。トホホ、と思いながらもとりあえず列の最後尾に並んでじっと待つしかない。幸い搭乗時間まで1時間以上あったので心は穏やかであった。数分もすると私の後ろにはネパールの方々と思われる搭乗客が次から次へと重なり見る見るうちに列は伸びていった。少し経つと私は生理的な違和感をかんじていた。それは私の後ろで並ぶネパール人男性がぴたっと体を寄せてきており、彼の息遣いと口臭がなんとも心地悪いのである。半歩前に詰めて彼とのスペースをつくるも、彼も半歩前に詰めてくるので状況は変わらなかった。よく見ると彼の後に並んでいる男たちも体を寄せ合っていた。それはまるで幼稚園児の行列のような格好で、男たちのそれぞれの手にはクリア・ファイルが握られていた。ファイルの中に納められている書類にじっと目を凝らすと、就業許可書のようなものであることがわかった。その時、WVネパールのスタッフの言葉を思い出した。それは、この国の貧しい田舎の家庭では子どもや家族を支えるために男たちが中東諸国へ出稼ぎに行くということだ。そして、その行き先で様々な国籍の出稼ぎ労働者の中で言葉や教育レベルの問題で最も過酷な仕事に就くのがネパール人だという。彼らは保険も掛けてもらえず怪我や病気になっても病院にもいけず、祖国へ帰ることなくその地で命を落とすものも少なくない。それでも少しでもよい収入を求めて多くの人々が地方から首都カトマンズの出稼ぎを斡旋する代理店に連日押し寄せているという。

*戦闘モード オフ

セキュリティ・ゲート前方にある出国便が掲示されているボードに目を向けると、ドバイ行きが表示されていた。私の後ろに並んだ一団の男たちの行き先がそこであることは想像に難くなかった。口臭が気になる後ろの彼はよく見れば30歳そこそこだった。平均的なネパール男性ならば妻と可愛い盛りの子どもの1人や二人故郷にいてもおかしくない。そんなことを思うと同じ男としてとても刹那かった。彼の後ろの男たちも同じような年齢であった。みな小柄であったが顔立ちを見るとインド・アーリア系、チベット系、そのどちらとも判別できない中間的な顔立ちがあり多民族国家ネパールの縮図を見ているかのようだった。これから旅立つ見知らぬ地への不安からか彼らの表情は一様に硬かった。そして幼稚園児のごとくお互い体を寄せ合い並んでいる姿が私の目にはとても悲しく映っていた。「ドバイ行きの搭乗者は至急セキュリティ・チェックへお進み下さい。」というアナウンスが英語とネパール語で流れた。男たちは私や前方の客を無視しセキュリティ・ゲートの前へどっと押し寄せ、その周りで団子状態になっている。その姿を追っている私の方は、まだ空港にいるにも関わらず“戦闘モード”のスイッチは完全にOFFになっていた。そして困難なことが予想されるネパールへの支援活動に対して二の足を踏んでいた自分を大変に恥じていた。

-おわり

この記事を書いた人

高瀬一使徒
高瀬一使徒
大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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