もう二度と会えないと分かっている「さようなら」は、死別の時のみだと思っていました。
地球の反対側に住んでいたとしても、旅費を貯めて時間を作り、会いに行こうと思えば会える。例え連絡手段がなかったとしても、探せば、会える。
そう、「生きていれば、また会える」。これは、お別れするときに生きている友を目の前に思う、あたりまえのことととらえていました。
2015年8月、照りつける太陽と叩きつける雨が交互に続くバングラデシュのスラム街で、「生きていれば、また会える」が嘘であることに気付きました。
貧しいスラム街で暮らすモスミちゃん(10歳)とミナちゃん(12歳)。途上国の子どもたちの厳しい現実を放映するためのテレビ撮影に、丸々3日間協力してくれました。
何年分という量のゴミ山で、売れるものを裸足で探す2人。ヘドロの不快な臭いは、身体の芯を腐らせると思わせるほど強烈で、私はとっさにマスクをしてしまいました。臭いだけで身の危険を感じたのだと思います。しかし、「自分さえ良ければいいのか」という想いから、マスクは数分後にはずし、捨てました。
2人の家を訪れました。
家の中がゴミで埋め尽くされている、というより、家がゴミで成り立っている、というほど家の中は混沌とし、どれが使えるもので、どれが使えないものなのかまったく見分けがつかないほどでした。数分その家の中で立っていただけで汗が滝のように流れ、頻繁に視界に飛び込んでくるゴキブリやネズミが私の思考を鈍らせます。脱水の危険を感じ、持ち合わせていた経口補水液を撮影チームで分け合いました。
撮影の合間の休憩時間、リズム遊びをしたり、手をつないで走ったり、シャボン玉をしたり、ここぞとばかりに共に笑い楽しみました。手の感触、キラキラと光る眼、洋服の柄や質、足の爪の形の細部まで、帰国した今でも鮮明に覚えています。
すべての撮影を終え、お別れの時が迫る3日目。
小さな友を目の前に、「もう二度と会えないであろう」という、確信に近い想いに涙があふれます。それは、まさに、「死別」に酷似した感覚でした。
生きたいと願って毎日懸命に働いている小さな友に対して「死」を感じる私はいったい何者でしょうか。そして「生きていれば、また会える」初めてこのフレーズに嘘を感じてしまいました。目にした彼女たちの生きる環境が劣悪すぎて「生きていれば」の「れば」の確率を非常に低くとらえてしまったのかもしれません。消極的なフレーズにしか聞こえませんでした。
死別に酷似した「さようなら」。これが、最初で最後であることを願い、今日も子どもたちの健やかな成長のために全力を尽くします。
チャイルド・スポンサーシップ課 堂道 有香
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