【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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事業地から持ち帰ったもの

ランカの同僚と

ランカの同僚と

自分は昨年の11月までスリランカ(以下ランカ)に駐在していた。ランカの同僚は大多数が25歳から35歳までの男性で、同じ家に住んでいたため男子寮に入っているような雰囲気だった。ここで詳細を書くと日本事務所の同僚から変な目で見られるので書かないが、2年間一緒に住んでいると、最初は恥ずかしがっていた彼らも、恥じらいも何もなくなったように打ち解けてくれた。

それだけ打ち解けてくれた同僚がいたため、彼らが内戦について考えていること、感じていることをそれなりに理解できるようになったと思う。

彼らと接してきて、やはり30年近い内戦の爪痕は多くの人に残っているということを深く感じた。同僚が今までにどのような壮絶な経験をしてきたかをあげてみると、リストにはきりがない。

スタッフA:砲弾が降る中、乳児を連れて妻と一緒に生き延びた
スタッフB:子どもの頃親と別れて、夜な夜なボートで国外へ逃げた
スタッフC:戦闘に巻き込まれないように、ジャングルを一晩歩いて逃げた
スタッフD :妻、幼い子と離れ離れになり、半年ほど連絡も取れず、妻子が生きているのか、死んでいるのかも分からなかった
スタッフE:乗っていた路線バスが乗り換えた直後に爆発物に当たったが、巻き込まれないで済んだ
スタッフF: スタッフAとほぼ同じ
スタッフG:スタッフAとほぼ同じ

・・・

恥ずかしそうに笑う事業地の子ども

恥ずかしそうに笑う事業地の子ども

といった具合だ。影響は彼ら本人だけでなく、内戦後のあまり良いと言えない生活環境で育つことになってしまった子どもたちにもおよんでいる。子どもたちの心身の健康状態や、受けることのできる教育の質などを見ると、あまりにネガティブな要素が多い。30年近い年月を費やした戦争の代償は結局、彼らや子どもたちが払うことになってしまうのだろうか?あまりに不条理な話である。

不条理な話なのだが、スタッフは内戦後の人生を彼らなりに勇気を持って進んでいるし、自分たちよりもさらに大変な状況にいる帰還民も同様に生活が戻るように、事業に励んでいる。休日返上で事業用の牛を買いに行ったり、朝の6時から真夜中12時過ぎまで配布に行ったりしてくれた彼らなしでは、事業はできなかっただろう。

そんな彼らがお別れの時にくれた物がある。

ランカの同僚から贈られた馬の置物

ランカの同僚から贈られた馬の置物

そもそもランカの事務所では、スタッフが退職する際は皆でお金をカンパして餞別を買うのが恒例なのだが、外国人への餞別は巨大化傾向にあり、以前にいたオーストラリアスタッフへの餞別は、重いゾウの石像だった。

気持ちは大変ありがたいのだが、こちらとしてはゾウの石像を持ち帰る余裕はないし、仮に日本に持ち帰れたとしても、置くところに困り果てた挙句、粗大ごみになってしまう可能性大であった。それは送ってくれたランカのスタッフ、自分、ゾウの石像と全員にとって悲しい結末なので、ゾウの石像の類だけは避けたかった。そのため餞別購入役を務めている同僚に、特に餞別はいらないと言っておいた。

しかし、やはり物事はそう思った通りに行かないものだ。

送別会終了後に3人の同僚がなにやら大きな包みを持って、ニコニコしながら現れた。彼らは自主的に、多くはない給与の中から餞別を買ってくれたという。袋の大きさに動揺しつつ出てきたのは、高さ40センチくらいの、ピカソの絵のように不思議な体形をした馬の置物だ。3人はうれしそうに、彼らが黒い油性ペンで彼らの名前と「スリランカ」と書いた箇所を見せてくれた。

彼らの気持ちは大変嬉しかったが、この馬をどうすればよいのだろうか?荷物に馬を入れる余裕はない。送別会後、駐在地を離れる前夜の眠りにつく前に、僕の頭の中では事業の記憶とスタッフと過ごした記憶、そしてこの馬の置物を日本に持って帰るか否か、ということがぐるぐる回っていた。

結局僕がスリランカから持ち帰ったものは以下のとおりだ。

スリランカ北部の帰還民が普通の生活に戻れるように、同僚と一緒に働いた経験 × 2年分
同僚の持つ痛みや苦しみ、喜びを共有した記憶 × 2年分
無理やり詰めて尻尾の折れた馬の置物 × 1個

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