「今週末、家畜選定に行くよ」
生計支援活動担当のGスタッフにそう声を掛けられて、思わず居住まいを正した。ついにその時がやって来たか―。
家畜選定。意味は何となく分かるものの、それまでの人生で一度も使ったことのない、その不思議な単語は前任者であるMスタッフが作成した数々の書類の中であらゆる項目に登場していた。やれ支援活動計画に「家畜選定」、やれ「想定されるリスク」に「家畜選定」、やれ「困難だった点」に「家畜選定」。どうやら家畜選定は最大の関門のひとつらしい、ということはよく分かった。
でも家畜の「購入」でも「調達」でもなく、なぜ「選定」なのだろう。謎のまま、その一日は始まった。
いよいよ出発!
土曜日のまだ真っ暗な午前5時、私たちスタッフとお世話になる獣医先生を乗せたワールド・ビジョンの車は家畜選定の舞台となるジャフナ県に向けて出発した。ワウニアからジャフナへは車で約4時間の道のりである。
内戦末期に激戦が繰り広げられ、多くの犠牲者が出たのは主に、北部州の玄関口であるワウニア県と最北県であるジャフナ県に挟まれたキリノッチ県とムラティブ県である。
ワールド・ビジョン・ジャパンがジャパン・プラットフォームの助成金を得て、帰還民に生計回復支援を行っているのはキリノッチ県であるが、家畜が激減してしまった県では家畜が購入できないので、調達のためにはジャフナ県まで行く必要がある。だからこそ、生計活動としての家畜飼養の需要が大きいとも言えるのだが。
午前9時にジャフナに到着し、お世話になっている家畜業者や家畜協同組合の職員と合流し、家畜業者が提携している家畜農家を順番に訪ねた。家畜農家が売るために持っている牛は1軒につき1~3頭だ。しかも牛は日中、放牧されているので、炎天下の放牧地で目当ての牛を探して黙々と歩くことになる。
牛を見つけると獣医先生が牛のお腹をのぞきこんだり、口を開けて歯をチェックしたりする。家畜の品質は支援を受ける方の今後の生活を大きく左右する。乳量が少なければ多くの収入を見込めないし、ましてや牛が死んでしまってはどうしようもない。だからできるだけ、若くて健康で乳量が多く見込めそうな牛を選ぶのだ。そのため正義と良心の塊のような獣医先生は容易にOKサインを出さない。
1軒の牛を見終わると、次の家へ。牛は当然、町の真ん中で飼われているわけではないので、 1軒 1軒訪ねるためには郊外の広大なエリアを移動しなくてはならない。
まだまだ続く、家畜選定
結局その日は9軒で20頭の牛を見て、選定できたのは5頭だった。今期の支援活動で牛を希望しているのは36世帯。残りの選定を思うと頭がクラクラした。あれだけ「家畜選定」が頻繁に書類に登場した理由が今は私にも骨身に染みて分かった。ワウニアに帰り着いたのは夜の12時だった。
そんな週末の家畜選定が何度か続いて、残り20頭となった時、Gスタッフが言った。「質のいい牛が見つかったらしいから、今度見に行く牛はほとんど買えて、選定は今度で最後になるんじゃないかな」やっとトンネルの向こうが見えてきたのだ。
獣医先生からの突然の電話
その最後の選定になるはずの前日。獣医先生から突然かかってきた電話を切った後、Gスタッフがポツリと言った。「ジャフナ県からの牛の移動が政府の通達によって突然禁止されたんだって。国連機関が大規模な家畜プロジェクトをやることになって、牛が大量に必要になるかららしいよ。明日の家畜選定は中止だね」
Gスタッフと私はしばし遠い目になった。私たちが買うはずだった20頭の牛たちが笑って飛び跳ねながら遠ざかっていくのが瞼の奥に見えるような気がした。さよなら。私たちと縁がなかったのは残念だけど、誰のものになっても君たちが提供する牛乳は、内戦で傷ついた、この北部の人々の骨となり肉となって、彼らを支え続けてくれるだろう。君たちの活躍を祈っているよ。
しばしの沈黙の後、Gスタッフが口を開いた。「こうなったらアヌラダプラ県だね。大丈夫、前にも調達したことがあるから。以前の家畜業者と連絡をとってみるよ。」
そうだ、がっかりしている暇はないのだ。プロジェクトの期限は刻々と近づいてくる。そして何より、私たちが配布する牛を苦境の中で首を長くして待っている人々がいるのだ。
そしていつか、近い将来こんな話はきっと笑い話になるに違いない。
「あの頃は家畜を買うのが本当に大変だったんだって」
「今じゃ嘘みたいだね」
そう言って人々が笑いあう声がきっともうすぐこの北部の地でも聞こえるはずだ。
そんな夢を支えに私たちはまた牛を探しに行くことにした。
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