皆さんは苗半作という言葉をご存知でしょうか?
稲作において昔から使われた言葉で、苗の良し悪しで、その年の作柄の半分は決まってしまうと言う意味です。
田んぼに植えたあとは、天候や病害虫の発生などの外的要因で収穫が左右されてしまうこともありますが、苗の出来で稲の初期成育が悪くなり、最終的な収穫に影響することが少なくありません。
特に近年の稲作では、稲の苗はハウスの中の育苗箱で育てるため、人の管理の仕方でその苗の出来が大きく違ってしまいます。
そのため、稲作において腕の見せ所となります。
しかし、バングラデシュでの稲作においてはこの「苗半作」はほとんど通用しません。
写真をご覧下さい(右上写真参照)。
一見、枯れてしまった稲のように見えますが、これは植えられた直後の稲です。
これだけをみると「一体どんな苗を育てて植えたのだ」と、思われる方も多いと思います。
バングラデシュでは育苗箱で苗作りはまだ行われておらず、苗床で作られます。
そして、そこから手で苗を取ったものを田植えするのです。
この苗を苗床から取るとき、なるべく稲の根を切らないように注意するのが、移植後の苗が根付きを良くするために重要なのですが、バングラデシュの農家の人たちは、ぶちっ、ぶちっ、と音が聞こえるほど(実際、聞こえるのですが・・・)根が切れるのをお構いなく、まるで校庭の草むしりをするようにとっていきます。その結果、写真の苗のようにほとんど根がないような苗になってしまうのです。そして、田植えは手で植えるのですが、当然根もないような苗ですから、手首まで水田の中に入るぐらいに深く植えます。
その結果が、冒頭のようなほとんど枯れて死んでしまう寸前の稲の様子です。
日本の東北地方などの寒冷地の水田なら全滅の危機でしょう。
少なくとも、移植後の生育に大きく影響して、大減収となるところです。
ところがどっこい、バングラデシュではその温暖な気候と洪水によって毎年運ばれる肥沃な土壌のお陰で、死にそうな苗はぐんぐん回復して、しまいには苗の良し悪しは関係ないぐらいに成育してしまいます。恐るべきバングラ稲の生命力!!
といったように、バングラデシュのみならず、我々が支援事業を行っている国々では、
日本の常識では考えられないことがたくさんあると思います。
日本でのベストが必ずしもベストの選択ではない、その国々、地方ごとに長年培った知恵や技術があるものです。
私たちの活動においても、我々の考えや計画を押しつけずに、支援地の人々の意見に耳を傾け、彼らの知恵や経験、技術を尊重しながら、そこに住む子ども達、人々の生活向上に貢献していきたいと思っています。
この記事を書いた人
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1983年大阪府立大学農学部農芸化学科卒業後、総合化学メーカーの日産化学工業株式会社の農薬部門で6年間勤務。同社を退職後、1989年11月より3年1カ月間、国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊員としてバングラデシュへ派遣され稲作を中心とした農業・農村開発の活動を行う。その後、青年海外協力隊調整員として3年6カ月ネパールに滞在、次いで青年海外協力隊シニア隊員として再度バングラデシュに派遣されモデル農村開発プロジェクト・協力隊グループ派遣のリーダーとして2年3カ月間、農村開発の業務に携わる。
2000年9月より米国フラー神学大学院世界宣教学部(Fuller Theological Seminary, School of World Mission)へ留学、異文化研究学修士(MA in Intercultural Studies)を取得。ワールド・ビジョン・インディアのタミールナドゥ州パラニ地域開発プログラム(Palani Area Development Program) での4カ月間のインターンシップをはさんで、2003年9月より英国サセックス大学大学院に留学、農村開発学修士号を取得する。
2004年12月国際協力機構(JICA)アフガニスタン事務所企画調査員として8カ月間カブール市に滞在。2005年9月よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、支援事業部 部長として勤務。
2021年3月退団。
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