2007年8-9月、タンザニア出張中、滞在地(Mbeya:ムベヤ)の近くの村で、「教科書にのっていないアフリカ」イベントの展示物の調達をしました。といっても、私は外国人、スワヒリ語も話せないので、従事していた事業のカウンターパート機関の若手職員(トカンバリ君)と、タンザニアに精通している事業の日本人チームリーダー(T氏)の力を借りて、行いました。
初め、(いきなり外国人が訪問するのは村人も驚くので)トカンバリ君とその友達に、近くの村へ行ってもらい、比較的貧困の家を選定(3件)、訪問し、イベントやアイテム調達等の事情を説明してもらいました。
後日、T氏と私も一緒に、選定した3件へ行き、イベントに必要なアイテムを家の中から選び、その後、近くの町へ行き、新しい代替品を購入しました。町のお店では売っていなかった小さな「腰掛椅子」は、またまた近くの、とても小さな工場へ行き、注文し、買ってきました。
翌日、沢山の新しい代替品を抱え、夫々の家を訪問、アイテムを交換しました。どの家族も大喜びでした。調達したアイテムのうち、洋服やサンダルは一度洗濯・乾燥させ、他のアイテムと共に大きな箱に詰め、EMSで日本へ送りました。
以下、3件それぞれの家での交換の様子です。
[1件目]
祖母(39歳・エディナさん)、母親(21歳・バーティさん)、男の子(4歳・オスカー君)、女の子(3歳・レベッカちゃん)の4人暮らし。母親は未婚で、2人の子どもの父親は遠くに住んでいるとのこと。主に母親が、メイズ、ポテト、バナナ、豆、ココナッツを育てて生計を立てている。

1件目家屋

1件目の家族
(交換アイテム) 小さな腰掛、ホウキ、ザル、調理鍋(二つ、ステンレス鍋と素焼き鍋)、調理用かき混ぜ棒(2本)、アルコールランプ、皿(2枚、プラスチックとホウロウ)、スプーン(2本)、包丁、コンテナ容器、くし、ひょうたん型のミルクジャー

1件目のおばあちゃんと握手

1件目で交換したアイテム-左はトカンバリ君
[2件目]
母親(ンペテレさん)、男の子(16歳・ベンソン君)、男の子(13歳・エザロン君)の3人暮らし。お父さんはエイズで6年前に亡くなった。持っている農地が小さいため、2人の息子は他の農家の農作業を手伝い、生計を立てている。

2件目家屋-右手前は鶏小屋

屋内のベッド-お母さんと息子2人が寝ている
(交換アイテム)
お母さんのスカート、キテンゲ(アフリカの布)、息子のズボン(2枚)、息子のシャツ(2枚)、洋服をかける紐、ホウキ、サンダル(2足)

2件目で交換したアイテム
-黒の袋の中は洋服

トカンバリ君が新しい代替アイテムをお母さんと息子達に渡しているところ

村の中-2件目から3件目へ行く途中

3件目付近の小川で村の女性が洗濯中
-洋服は草の上で乾燥
[3件目]
祖父母(共に60歳位、ご本人達も「よく分からない」とのこと)、孫の女の子(7歳)の3人暮らし。両親は遠くに出稼に行っている。

3件目の孫と親戚の子ども達
(交換アイテム)
小さな腰掛、女の子のスカート・上着(2枚、袖なし・長袖)・ワンピース、とっくり型のジャー、調理鍋(二つ、ステンレス鍋と素焼き鍋)、皿(4枚、ホウロウ)、コップ(4つ、ホウロウとプラスチック)、スプーン(4本)

3件目の交換アイテム

3件目でアイテムを交換しているところ
最後に・・・、各家庭を訪問したことで、様々な背景・事情で生活に困っている様子をうかがい知ることが出来ました。
こうした一件一件の家族のことを忘れずに、日々の仕事に取り組んでいきたいなと、改めて感じました。

町のお店でトカンバリ君と新しい代替品を購入しているところ

1件目のレベッカちゃん
-とても人見知りでしたが、最後に小さな手を差し出し、握手してくれました
この記事を書いた人

- 支援事業第2部 部長
- 埼玉大学工学部卒、英国マンチェスター大学(UMIST)IDPMにて開発プロジェクト計画・管理修士課程修了。国土交通省の公益法人でODAインフラ事業の形成業務や欧米諸国の建設行政に係る調査業務等を経て、2002年から2年間、UNDPタイ事務所へJPOとして赴任。2004年から約1年半、JICA東京にて都市開発課題の技術協力コンテンツ開発業務等に従事。2006年1月にワールド・ビジョン・ジャパン入団。
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