元々国際協力に興味があった僕にとって、NGOで働くことは1つの目標であり、このワールド・ビジョン・ジャパンで働くことに対して憧れを持っていました。そんな中、ゼミの先輩に、ワールド・ビジョン・ジャパンでのアルバイトを紹介してもらったことは、まさに僥倖といえるようなものだったように思います。そして、アルバイトとして働いてきたこの約2年間は、僕にとってすごく大きな財産になるであろうことを強く実感しています。
僕は、国内子どもチームの一員として、国内の子ども支援に関わる業務に携わっていました。基本的には、チームリーダーであった高橋さんをはじめ、チームメンバーのサポート的な役割として、様々な業務を行っていました。今回このブログは、国際協力をはじめとしたさまざまな「支援行為」に対して、業務を通して感じたことを、とても正直に書いたものになります。
支援行為に対する理解の難しさ
まず、僕が感じた事は、「支援行為に対する理解の難しさ」です。国際協力をはじめとした、種々の支援行為、いわゆる「人助け」なるものは、否定的なまなざしを持たれてしまうことがしばしばあるように思います。きっと、ただの綺麗事であり、一種の偽善的行為に映ってしまう時もあるのでしょう。またその一方で、支援行為を過度に美化したまなざしというのも同様にあるように感じます。国際協力などのさまざまな支援行為を仕事にしている人たちは、常に高尚で綺麗な心を持って仕事をしているのだというような考えは、それに該当するのではないかと思います。確かに、実際に働いている人たちは、世界を変えるために何かをしたいと本気で心から願っているような人の方が多いように思います。ただし、そのような過度に美化したまなざしというのは、時には現場で働く人のプレッシャーになってしまうような気もします。だからこそ、僕を含め“外側” (*1)の人たちは、もう少し気楽に眺めてもいいんじゃないかなと思ったりもします。
もっとも、そんな「まなざし」なんて存在しないだろうと思う方も、もしかしたらいるかもしれないですし、これらは全て僕の想像が作り出したものなのかもしれません。ただし、実態としては、前述したような「まなざし」から派生した意見が世間的には見受けられます。例えば、自己責任論などはその現れでしょうし、「NPOやNGOの職員がお金を稼ぐのはどうなのか?」という意見があることも、その現れだろうと思います。
支援行為のような、「目に見えづらく形にすることが困難な利益」を追求する行為というのは、外から見ると、簡単に理解ができるものではないはずです。そのために、色々な「まなざし」が生まれるのは、もっともなことであると考えています。
それでも、僕を含め、多くの人たちが、支援行為に対する固定されたまなざしから脱却する余地は十分にあると思います。そして、その出発点には、「支援行為自体の大変さへの理解」というのが置かれるべきであると僕は考えています。
*1:ここでは便宜的に、支援活動を行う団体で働く人を「内」、そうでない人を「外」と定義して話を進めたいと思います。
支援行為自体の大変さ
支援行為に対する理解の難しさに加え、支援行為自体の大変さ・難しさというのも、この2年間僕なりに感じてきました。支援を必要としている人に対して支援を届けるという行為は、高尚であると同時に、すごく地味で大変な作業の繰り返しなんだと思います。決してただの綺麗事を羅列したものではないし、綺麗な心だけではやりきれない、泥臭く、大変で地味な作業を常にし続けなければいけないのです。僕はただのサポート役であったため、実態を完全に把握できたわけではありませんが、少なくとも僕の目にはそのように映りました。
地味で泥臭い作業を繰り返すこと。それが最終的には、助けを必要としている人に、助けを届けるということに繋がるのだと僕は思っています。そして、それらに携わる人は、外からの様々な「まなざし」を受け、そして自己の内にあるさまざまな葛藤と戦いながら、そういった作業を延々と続けているのだと、僕は勝手に解釈しています。
報告書の誤字脱字の確認。数値の確認。そして、その他様々な書類の作成など。そういった地味で細かな作業を経て、この仕事は成り立っています。そして、それらの作業を、いろんな葛藤を抱えながら進めていく。そういうことの繰り返しが、多くの人を助けることになるのではないでしょうか。
僕をはじめ、外から眺める人はそこへの理解をする必要があると個人的には考えます。決して綺麗事だけでは成り立たない部分が、この仕事には多すぎるほどあるのだと思います。現時点では、それに対する理解が不十分ではないでしょうか。それ故、そういった活動が、働く人のある種自己犠牲の上に成り立っていると思うと、僕はとてももどかしい気持ちになります。そういった自己犠牲の上に成り立つ支援行為というのは、いずれ崩壊する危険性を孕んでいると個人的には考えています。支援を必要としている人に対して支援を届ける人や仕組みの存在は、言わずもがな必要不可欠でしょう。しかし、それと同等若しくはそれ以上に、支援を届けようとしている人を支える仕組みが、社会全体として備わっていなければ、結局は誰も助けることができなくなってしまうような気がします。あくまで僕の個人的な感覚ですが、日本社会の総体として見た時、そこに向けた歩みは遅々として進んでいないように思えます。支援を必要としている人が当たり前のように支援を受けることができる。そして、それと同時に支援を届けようと尽力している人が疲弊しないような仕組みが構築される。そういった社会が、いつの日か訪れてほしいなと思います。
最後に
僕らは、互いに助け合わないと生きていけない動物であって、助ける行為そのものに疑問を抱くことがあれば、それは自身に何か足りない部分があると考えます。僕はそういう立場に立っています。だからこそ、人を助けるという行為自体には何も間違いがないものとして話を進めてきました。もちろん「誰かのため」の前に、「自分のため」の何かを追求することは、大前提として重要でもあるとも思います。だから僕としては、こういう国際協力の活動、そして種々の支援活動に対して、「皆さん何か形になるサポートをしましょう」という気持ちはあまりありません。
でも、形にならない、「思い」のところで、人を助けることを生業にしている人の実態をより正確に理解しようと心がけるべきであると僕は思います。そういった「思い」の連続が、いつの日かたくさんの人を助け、それが自分を助けることに繋がるのではないでしょうか。ほんのちょっとの理解の連鎖が、いつかは大きなインパクトを生み出すはずです。少なくとも僕はそう信じています。綺麗事で終えてしまって大変恐縮ではありますが、これが、僕がこの2年間働いてきた中で感じた正直な気持ちです。
僕は学生を卒業し、4月から社会人になります。国際協力の業界からは一旦は離れることになりますが、最終的には国際協力の現場で仕事をしたいと考えています。いつかまた、ワールド・ビジョン・ジャパンのみなさまと働ける日がくることを願っています。
最後に、この2年間僕はアルバイトという域を超えて、いろんな経験をすることができました。そういった機会を提供してくれた、高橋さん、そしてチームメンバーの方々、ワールド・ビジョン・ジャパンのみなさんには、この場を借りて、心より感謝を申し上げます。
支援事業部 開発事業第1課 国内子ども支援チーム 李 承玟 イ スンミン
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この記事を書いた人
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