【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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私がワールド・ビジョン・ジャパンで働く理由

人生の転機は何か。そう尋ねられたら、私は迷わず2001年の「米国同時多発テロ」を挙げます。あの日の夜、ドラマの続きを見ようとテレビの前に座り込んでいた私は、ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む映像を思いがけず目にしました。あまりの衝撃に、茫然としたことを覚えています。

なぜこのようなことが起こったのだろう。その理由を知りたくて、大学では中東地域の学生と交流するサークルに所属し、毎年アラブ諸国を訪問しました。

2006年、イエメンの高地にて

2006年、イエメンの高地にて

同世代の若者たちとの交流は、文化の違いよりも、お互いが共通の趣味や関心を有している発見がありました。国や言葉を超えた交流が楽しく、将来は日本と中東の橋渡しができるようになりたいと考えていました。

2007年、オマーンの学生と交流(左から2人目が筆者)

2007年、オマーンの学生と交流(左から2人目が筆者)

米国同時多発テロ後、残念なことに、中東地域は混沌から抜け出せずにいます。イラク戦争後には「アラブの春」と呼ばれる民主化運動を経て、友人の暮らすシリアも、紛争により多くの難民が諸外国に逃れることになりました。

独立行政法人からワールド・ビジョンへの転職

大学卒業後は中東地域との接点が持てることを期待して独立行政法人に就職し、実際、仕事でも同地域と関わる機会に恵まれていました。それでも、連日シリアでの戦闘の映像や、他国に流入する難民の人々の姿を見ると、何もできない自分自身に、途方もない虚しさを感じることがありました。

その後、日本のいくつかの教育機関でシリア人留学生の受入れが始まり、ボランティアとして彼らの生活支援に関わる中で、より積極的に難民支援に携わりたいという思いが芽生えました。留学生から聞く現地の悲惨な状況、また彼・彼女たち自身も家族離散のような状態になっていることを聞くにつれ、「何かできないか」と考えるようになりました。留学生の多くが「国の将来への不安」と「子どもたちの置かれた境遇への危機感」を口にし、「私自身は恵まれている」という言葉は今でも心に残っています。

そのような時、ワールド・ビジョン・ジャパンがシリアの紛争で弱い立場に置かれている子どもたちの支援をしていることを、インターネットで知りました。国の将来を担う子どもの支援に特化した団体の活動は、「何かしたい」と考えていた私にとって、非常に魅力的に見えました。思い切ってその門をたたいてみよう。そう決心して願書を提出し、面接を受け、2022年4月からワールド・ビジョン・ジャパンで働くことが決まりました。

ケニアへの出張

ワールド・ビジョン・ジャパンで働き始めて約半年後、出張の機会が与えられました。目的地はケニアの開発援助事業を実施している地域です。水の確保や母子衛生の課題が山積するも、塩野義製薬様とパナソニック様の支援により環境改善が進む複数の地域を視察しました。

これまで北アフリカのアラブ語圏には行ったことがありましたが、いわゆるサブサハラ・アフリカ訪問は初めてのことです。ましてや視察地は首都からも遠く離れた地域のため、想像もつかないなか、アフリカへと赴きました。

支援地域の訪問で、ある一家に出会いました。正確には、一家というには心もとない、少年少女の集まりでした。もともと一家はお母さんと6人の兄弟姉妹の生活でした。しかし現在、母親が家出し、最年長の子は18歳で家を離れ、残された5人で暮らしているというのです。最年少の少年は栄養状態が悪く、高栄養食品を与えて回復したと聞きました。

彼ら彼女らを支えているのが、コミュニティのお母さんたちでした。お母さんたちが交代で面倒を見ているそうです。

歓迎のダンスを披露してくれた支援地域のお母さんたち

歓迎のダンスを披露してくれた支援地域のお母さんたち

乾燥で砂が舞う土地で、むき出しの土の上に建てられた家に暮らす彼・彼女たちの心細さを想像すると、心が痛みました。と同時に、コミュニティのお母さんたちの温かさにも心が打たれました。

家族の実情を説明するときのお母さんの表情は、厳しいものがありましたが、「優しいですね」という言葉をかけた時の彼女の表情は、はにかみながらもどこか嬉しそうな表情でした。

お母さんたちの笑顔

支援地では、現地が抱える課題に対し、ワールド・ビジョン・ケニアのスタッフの指導の下、お母さんたちが各種活動に取り組んでいます。

鶏が与えられ、それを飼育し食料とする、あるいは鶏を売ってお金を稼ぐ養鶏のプログラムや、栄養不足を補い、少ない水で効率的に栽培ができるよう工夫されたキッチンガーデンと呼ばれる食用野菜の栽培、お金の使い道を学び、コミュニティ内のお母さんが共同で貯蓄を進め、必要な人に資金を提供する貯蓄グループの活動など。いずれもお母さんたちが主体的に取り組み、子どもたちやその家族の栄養状態の改善、収入向上に大いに役立っている様子でした。

今回の視察では、ワールド・ビジョン・ケニアのスタッフが日本からの訪問者を案内するとともに、地域での活動の説明は、地域のお母さんたち自身がしてくれました。例えば貯蓄グループでは、実際にお金を集め、帳簿に記録し、必要となった人へお金を渡す一連の流れを、実際にデモンストレーションしてくれました。

貯蓄グループの活動を説明するお母さん

貯蓄グループの活動を説明するお母さん

活動内容自体も興味深かったのですが、最も印象に残ったのは、お母さんたちの自信と喜びに満ちた表情でした。どのように自身の生活が変わり、周りや環境が変わったかを説明してくれたのですが、その表情は「私にもできることがたくさんある」と言っているようでした。そしてお母さんたちの笑顔は、私にも、ワールド・ビジョンの創設者、ボブ・ピアスの「“何か”はきっとできる」という言葉を、改めて思い起こさせてくれました。

さらに、あるお母さんによると、「(これらの活動に参加して)夫が家庭のことに協力的になった」というのです。頑張っているお母さんの姿を見て、お父さんも刺激を受けたのでしょう。こうして、地域に根をはった活動が、栄養改善、収入向上のみならず、家庭の平和をも守ることに寄与しており、小さな種が色々なところで実を結び、地域の変革につながっているように感じられました。

中東地域への関心が強かった私ですが、ワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフとして初めてケニアを訪れ、助けを必要としている人のために働けるのは嬉しいことだと再認識しました。

お母さんたちの笑顔と私が抱いた感情、それは支援者・被支援者の枠を超えて「“何か”はきっとできる」という言葉が、双方に満ち満ちていったからなのだと感じています。私が感じた喜び、「“何か”はきっとできる」という希望を、これから一人でも多くの方と分かち合いたいと思っています。

支援地域の子どもたちと筆者

支援地域の子どもたちと筆者

マーケティング第2部 法人・特別ドナー課
松本 足渡

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この記事を書いた人

WVJ事務局
世界の子どもたちの健やかな成長を支えるために、東京の事務所では、皆さまからのお問合せに対応するコンタクトセンター、総務、経理、マーケティング、広報など、様々な仕事を担当するスタッフが働いています。
NGOの仕事の裏側って?やりがいはどんなところにあるの?嬉しいことは?大変なことは?スタッフのつぶやきを通してお伝えしていきます。
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