あるNGO職員とカンボジアの復興 - 雨の日風の日から22年(その1)を読む
あるNGO職員とカンボジアの復興 - 雨の日風の日から22年(その2)を読む
カンボジアでは、沢山の人々が集まるところには、必ず簡易雑貨店が立ち、食品関係や日用品の生活必需品の販売が始まる。
川辺のキャンプ集落では、もうすでに2畳ほどのスペースの雑貨店が数件、木の柱と竹の棚、そしてヤシの葉の屋根と壁という簡単な構造で立てられて営業していた。また雑貨屋ばかりでなく、雑貨屋の傍では御菓子などを売る人々がいた。
その中に、まだ小学校1、2年生ぐらいの女の子が七輪の炭でワッフルを焼いて売っていた。ワッフルはベルギーで生まれたケーキで、隣国の美食大国フランスに伝播定着し、そしてその植民地となったカンボジアにまで食文化として広がったようである。
少女は、慣れた手つきで、日本のタイ焼機の様な二つの小さなフライパンを合体させた道具で、中に凹凸があるフライパンの皿に小麦粉をココナッツミルクとパームシュガーで解いた生地を流し、もう一方のフライパンを蓋として合体させて、炭の上に置いて焼くのである。
焼きあがるまで、ほんの2、3分で、少女はできあがると小さな手で火傷をしないように素早くプラスチックの皿に乗せて、また生地を流し込んで焼いていた。私がその手際の良さに感心しながら暫くジッと見つめていると、緊張したのかワッフルを焦がしてしまった。はにかみながら次の生地を流し込みまた焼くが、私のせいで焼きあがる間の感覚のリズムを崩してしまったらしい。次のワッフルもその次も焦がしてしまった。
私は申し訳なく思いその場を一刻も早く立ち去ろうとして、とりあえずお皿の上にある焦げたワッフルを買おして手持ちの1ドル札を少女に渡した。(当時から現在に至るまで米ドルは、カンボジアの通貨リールと併用して広く使われている)すると、お皿に山盛りのワッフル全部をビニール袋に詰めて渡してくれた。それから2日間は、少女に申し訳ないと思い、朝に夕に一片も残さずにココナッツ風味でほんのり甘いワッフルを食べつくしたのだった。
あれから22年の月日が経った。その後、国連平和維持軍の駐留、難民の帰還、内戦終結、総選挙の実施、アセアンへの加入と国は復興のステップを上って行った。
その間ワールド・ビジョン・ジャパンでは、地雷の犠牲者に対する支援、母子保健への支援、帰還避難民への支援と継続し、現在ではチャイルド・スポンサーシップにより長期的な地域開発事業を支援している。
避難民キャンプの方々は、生まれ故郷か政府の用意した代替え地へ移り住んでいる。支援事業地の子どもたちは健康で学校に通っている。
国全体では、今でも日本と比較にならない多くの問題を抱えているが、でもよくここまで復興したものだと驚いている、と同時にカンボジアの人々のご苦労と努力に対して尊敬の念を抱かずにいられないのである。
あのワッフルを焼いていた少女は、今ではお母さんになっているのだろうか。トンレサップ川の近くで家族と共に平和で元気に生活していることを心から祈っている。
この記事を書いた人
- 大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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