現在スポンサーをしている2名を含めると22年間で8名のチャイルドを支援してきたことになる。
その中で一番長く支援したのがカンボジアのソックちゃんであった。
何せ彼女が4歳から16歳までの12年間の時をスポンサーとして共有できたのだから、その思いも特別なのである。また、支援団体で働いていることの役得であるが、彼女が4歳の時と14歳の時の2度ほど現地へ出張に行った際に会うこともできた。
両親を亡くし祖父母に引き取られていったばかりの4歳の時は、痩せていて、怯えていて、一瞬たりとも笑顔を見せることはなかった。
しかしそれから十年たって再び会って見ると、カンボジアの女の子の平均より高いくらいに背は伸びていて裕福ではなかったが健康に成長していた。
おじいちゃんはすでに他界し、おばあちゃんと二人暮らしであったが、将来は学校の先生になりたいと、はにかみながら笑顔で答えてくれた。
昼食をとりながら私が矢継ぎ早の質問をし、現地スタッフの通訳を介して寡黙の彼女が短くに答えるという会話を1時間ほどしただろうか。
付き添いできて傍らに座っていた彼女のおばあちゃんは意外と饒舌で、私の質問にはお構いなしに、
「アタシャー、もう歳だからね、長くないのさ。」とか
「腰が痛くてね、アタシャー。」とか、
私たちの会話にチャチャを入れてくる。
しかしスタッフが絶妙のタイミングで上手に対応してくれ、楽しいひとときはあっという間に過ぎて行った。
名残惜しかったがプノンペンに帰る時が来た。
「ソックちゃん、先生になれるよう日本で祈っているから勉強頑張ってね。」
「おばあちゃんもお元気で。」
とお別れの言葉を送った。
おばあちゃんは「バー。」(クメール語で、「はい」という意味)と答えたが、ソックちゃんは黙ったままだった。
そして、車に乗り込む私の後ろ姿にボソと細い声で何か言ったが、私は気にも留めずそのまま後ろ座席に座った。
ガラス越しに手をふる私に手を振って答えてくれるソックちゃん。
でもなぜかそこには笑顔はなかった。
車はゆっくり動きだし二人の距離が少しずつはなれてくとソックちゃんの二つの大きな目から涙がしみ出していた。
私はひどく取り乱したが、そのとき彼女にすべき最善のことは、そのまま笑顔で手を振りつづけることのように思われた。
少し過ぎてから彼女が最後に私に言った言葉は「日本のお父さん」という意味だとスタッフが教えてくれた。
夕方プノンペンに戻り、トンレサップ川沿いにある公園で川の流れを見つめながら、私が会いに行ったことが彼女にとって良いことだったのだろうか、かえって彼女を悲しませてしまったのではないかと、暫く自問していた。
カンボジアは自然の恵みの豊かな国である。
東南アジア最大のトンレサップ湖とそこから首都プノンペンへと流れるトンレサップ川は、魚の宝庫で1メートルにもなる巨大淡水魚から小魚まで、獲っても獲っても尽きることがない。一説にはカンボジア国民のタンパク質源の60%をこの湖と川から賄っていると言われる。乾季の間は湖からプノンペンへ向かって流れ込む川は、雨季になるとプノンペンから湖に向かって逆流し、魚をもたらし、洪水をもたらす。その洪水の栄養分が田畑を豊かにもしてくれる。
「ソックちゃんはカンボジアに生まれた。このトンレサップの恵みの恩恵を受けこれからも成長するだろう」と自身を納得させてようとしていた。
そして私のチャイルド・スポンサーとしての役目はもうすぐ終ろうとしていた。
時のたつのはなんと早いことか、あれからもう6年が経過した。
支援事業は無事に終了し、彼女のことは祈ることしかできないが、もう教師になれたのだろうか。
今も気にかけている。
この記事を書いた人
- 大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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