【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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電柱

宮城県に行ってきた。私のような若輩者が、この場で何を書けばいいのか、自分が目にしたことをどのようにして文章にすればいいのか、今も迷っているし、まだ頭の整理もついていない。
結果的にとりとめのない散文になってしまうが、先日、東日本緊急援助活動で被災地に行った時のことを書きたい。

登米市と、南三陸町に数日滞在した。
正直な話、このような規模の災害を見るのは、人生初めてだった。
そのせいか、私の心はどこか晴れなかった。

いつまでも頭から離れないのは、登米市から南三陸へ向かう道のりだ。
ゆるやかなカーブを曲がって、小高い山のようなものを通り越した瞬間に、目に入るものはがれきの山だった。
ニュースで見ることと、自分の五感で感じる事の違いを思い知った。がれきを撤去しているかすかな音がした。
それしか聞こえなかった事に、私は泣きそうになった。

本当なら、その一帯が生活の音であふれているはずだから。

車についていたカーナビで、地図案内の目印として旅館だったり、コンビニであったりが表示されるが、そんなものは存在するはずがない。スクリーンに浮かぶ旅館のサインを見て、心苦しくなった。

チャイルド・フレンドリー・スペースにて、右手前が筆者

チャイルド・フレンドリー・スペースにて、右手前が筆者

避難所をいくつか訪れた。避難している皆さんが、「日常になりつつある非日常」を静かに、でも確実に生きていらっしゃった事に感動した。ある避難所で、たまたま本を借りに来ていた兄弟に出会った。

人懐こい子たちで、すぐに仲良くなった。
3人兄弟の2番目の男の子は、1年生にあがるところだったけれど、ランドセルも流されてしまった、と教えてくれた。自分が小学校に上がった時に、ランドセルがどれほどうれしかったか、まざまざと思い出して、私はうなずく事しかできなかった。
暗くなっていた私を横目に、子どもたちは、本を読んだり、折り紙に熱中していた。
すべて一生懸命で、
顔がキラキラしていて、その姿に自分が励まされた。

壊れてしまった家の一つ一つに、家族があって、人生があって、生活がある。
その人々が「日常」に戻るために、ワールド・ビジョンは働いている。
その中で、私のような者は何ができるのだろう、数日間、途方もない思いにかられて過ごした。

帰る日になって、南三陸の町を窓から眺めていたときに、同乗していた方が、「電柱が立ち始めた」と言っていた。
私は気づかなかったが、確かに到着した日は一面何もなかったのに、
道にそって、多くの電柱がずらっとまっすぐに空に向かって立っていた。
電線を引く工事をしているところだったが、その復興の速さに驚くと同時に、すごく勇気づけられた。
言葉にしてうまく言えないのだけれど、まっすぐに立つ電柱を見ることで、私もワールド・ビジョンという団体で働いている、その中で出来る事を、精一杯やろう、と背筋がのびた。

この記事を書いた人

國吉美紗プログラム・オフィサー
イギリス、マンチェスターメトロポリタン大学にて政治学部卒業。
大学在学中にWFP国連世界食糧計画にてインターン。
2010年9月より支援事業部 緊急人道支援課(旧 海外事業部 緊急人道支援課)ジュニア・プログラム・オフィサーとして勤務。2012年9月よりプログラム・オフィサーとして勤務。2016年7月退団。
趣味:読書、映画鑑賞、ダイビング
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