3月20-21日の2日間、ベトナムでワールド・ビジョン・ジャパンが支援するバン・エン地域開発プロジェクトへ行ってきました。ベトナムへ行ったのは生まれて初めてでしたが、バイクで道が埋まる首都ハノイからの車で約4時間半のプロジェクト地は日本の田舎といった感じでした。車で走る窓から、植えられたばかりの田んぼが道の両側に続いてみられました。
朝7時にハノイを出発し、昼前に現地到着、昼食後事業を実施している村に向かいました。そこで見たのが就学前教育プロジェクト、簡単にいうと幼稚園運営プロジェクトです。この地域ではベトナム政府との話し合いで、小学校や中学校での教育支援は政府が中心になって行うので、NGOであるワールドビジョンには小学校へ入る前の子どもへの支援に注力してほしいと始まったプロジェクトです。
もともとコミューン(日本でいう村の単位のようなもの)の集会所があったところにプロジェクトから幼稚園を建設しました。校舎の前には滑り台など遊戯を備えた広場があり、教室の中も非常に清潔でいろんな遊び道具や教材が備えられています。こんな田舎に日本にもあるようなきれいな幼稚園があってちょっと別世界でした。ちょうど絵を使って、先生が都会での交通状況について子どもたちに教えていました。このような車もほとんど通らない田舎でなぜこんなことを教えるのかと思いましたが、プロジェクトのスタッフは「ここに通う子どもたちは田舎の小数民族出身で、車などになれていないため、いざ都会に出たときに恥ずかしがって戸惑わないためにこのようなことを教えることは必要です。」とのことでした。なるほど、日本でもある、いわゆる「おのぼりさん」にならないようにするためですね。ここでは園長先生を含め教師が3名働いていますが、その給与は政府から支払われており、政府の運営への参加が見られてプロジェクト終了後(10年以上先の話ですが・・・)も安心できそうです。
次の日の午前中は、小学校で行われている健康診断を視察しました。政府の保健所から医師や看護婦さんが来て、一人一人の身長、体重などを測り、視力検査もしています。但し、体重を測るはかりは八百屋さんでも見るような秤を使っていましたし、身長はメジャーを校舎の柱に貼り付けたもの、視力検査で見る対象は日本でもお馴染みのあの「C」の文字のようなわっかのどこかが切れている図形を見るものですが、片目を閉じるスプーンのようなものはなく、子どもたちはみんな自分の手と紙で片方の目を閉じ、腕を使って大きくどちらかを示していました。こんな健康診断の様子と先ほどの幼稚園の様子とのギャップに、なんともいえない不思議な気持ちにさせられました。
この記事を書いた人
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1983年大阪府立大学農学部農芸化学科卒業後、総合化学メーカーの日産化学工業株式会社の農薬部門で6年間勤務。同社を退職後、1989年11月より3年1カ月間、国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊員としてバングラデシュへ派遣され稲作を中心とした農業・農村開発の活動を行う。その後、青年海外協力隊調整員として3年6カ月ネパールに滞在、次いで青年海外協力隊シニア隊員として再度バングラデシュに派遣されモデル農村開発プロジェクト・協力隊グループ派遣のリーダーとして2年3カ月間、農村開発の業務に携わる。
2000年9月より米国フラー神学大学院世界宣教学部(Fuller Theological Seminary, School of World Mission)へ留学、異文化研究学修士(MA in Intercultural Studies)を取得。ワールド・ビジョン・インディアのタミールナドゥ州パラニ地域開発プログラム(Palani Area Development Program) での4カ月間のインターンシップをはさんで、2003年9月より英国サセックス大学大学院に留学、農村開発学修士号を取得する。
2004年12月国際協力機構(JICA)アフガニスタン事務所企画調査員として8カ月間カブール市に滞在。2005年9月よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、支援事業部 部長として勤務。
2021年3月退団。
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