【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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ベトナム 人身取引の実態|子どもの行方を追って

ワールド・ビジョン・ジャパンは、ベトナム北部のディエンビエン省というラオスと中国の国境に近い省で、地域開発プログラムの支援を行っています。ディエンビエン省は、ベトナム国内で2番目に貧困度の高い地域であり、支援地の多くでは、山岳民族の人々がいまだにそれぞれの民族衣装に身を包み、自分の民族の言葉を話し(特に女性と子どもと老人は、ベトナム語とも呼ばれる公用語のキン語が話せないことが多い)、それぞれの文化を守りながら暮らしています。

ディエンビエン省ムオンチャ地区に暮らすある親子

ディエンビエン省ムオンチャ地区に暮らすある親子

観光客のような気持ちで現地に降り立つと、深い緑に覆われた山々とその美しい山並み、青い空、点在する素朴な家と美しいカラフルな衣装に身を包んだ現地の人々と、ポストカードのような世界が広がり、その美しさに本当に息をのむのですが、実際に村に入り人々の生活に触れてみると、その生活の過酷さ、自然の厳しさとキン族中心のベトナム社会から疎外され、様々な機会から取り残されてしまった人々と、そこで半分あきらめに似た気持ちで生活する人々の生活を目の当たりにすることになります。

調査のため、山道を進むWVスタッフ(筆者は一番左)

調査のため、山道を進むWVスタッフ(筆者は一番左)

私は2011年より人身取引対策の事業をメコン地域で担当しており、事業終了後も折に触れて現地で状況の調査などを行ってきました。2017年10月には、このベトナム北部のディエンビエン省を訪れる機会がありました。今回の調査は短い時間にスケジュールを詰め込んだため、それぞれの訪問地で限られた時間しか滞在することができず、なかなかまとまった時間を使ってインタビューすることができなかったのですが、人身取引の被害にあった方、あう危険があった方の体験だけは、じっくり聞きたいと思っていました。

私たちが案内してもらったのは、ディエンビエン省の中心から車で3時間程度行った、ムオンチャ郡というところ。その郡の中心からまたさらに2時間程度車で行き、最後は車が入れないためバイクに乗り換えて30分程度走ったところの、山の斜面に建てられたモン族の家庭でした。その家庭は9人の大家族で、両親のほかに 7人兄弟姉妹がいるとのことでした。そのうち3人の姉妹が、昨年中国へ渡り、そのうち2人は今も行方がわからないと現地の政府職員から説明を受けました。

ディエンビエン省のあるコミュニティの様子

ディエンビエン省のあるコミュニティの様子

ヒエンさん(仮名)は17歳で、これまで学校に通ったことがありません。普段は家の手伝いをしながら暮らしています。家の暮らしは貧しく、何かより良い収入になることはないか…と考えていた矢先のことでした。ある日、家で妹たちと留守番をしていると、親戚のおばさんがやってきて、ムオンチャ郡の町まで出るといい収入になる仕事がある、という話を持ち掛けられました。仕事は難しくなく、田んぼでの作業とのことでした。今すぐにいかないと仕事はなくなってしまうから、もしよければ今出発しようとかなり急な話でした。両親も留守だし、一応相談して…と思ったものの、早く早く、と急き立てられ、またそのおばさんの息子がバイクでムオンチャ郡の町まで送るというので、ヒエンさんは2人の妹とともに出かけることにしました。

ムオンチャ郡まで出てみると、今度は中国との国境の町、ラオカイに行かなければ…とそのまま150キロ以上も離れたラオカイに連れて来られ、そして気が付くと、中国の国境を越えていたのです。パスポートもIDもないため、ヒエンさんたちは正式な国境ではないところを越えました。ヒエンさんも妹たちも、現金も食べ物も持ち合わせがなく、自分の家から遠く離れた中国まで来てしまうと、もうどうすることもできませんでした。3人は、中国人と結婚したベトナム人女性の家に監禁され、1週間程度たった後、妹たちは一人、また一人と外に連れ出され、そのまま帰ってきませんでした。妹たちは、中国人男性に売られたと後で聞かされました。

家では、突然にいなくなって娘たちを案じて、ヒエンさんのお母さんが大変心配していました。どこに何をしに行ったのか、まったくわからない状態で、近所の人にも聞いて回り、ようやく彼女たちの親戚が3人を連れて行ったことを突き止めます。お母さんは、その親戚の家に乗り込み、状況を聞き、娘たちが連れていかれた中国へ自分を連れて行くようにとせまりました。バイクでラオカイまで行き、その後中国国境を越えました(不法入国)。

娘たちが連れていかれた町は、ラオカイからバイクで丸一日かかるほどの遠いところでした。ようやくその町に到着し、娘たちを町中探し回り、ようやく市場で娘に会えたとのことでした。ヒエンさんのお母さんは、「その足で、すぐにベトナムへ連れて帰ってきた」と、かなり強い語調で説明してくれました。

自分たちの身に起きた話を聞かせてくれたヒエンさんと母親

自分たちの身に起きた話を聞かせてくれたヒエンさん(仮名・左)と母親

人身取引対策の仕事にかかわるものとして、正直なところ、お母さんの話には賛同できないところも多々あります。お母さん自身が、中国へ不法入国しているのは非常に危険であるとも思います。つまり2次被害にあう危険性が非常に高いのです。ヒエンさんを救出することはできたけれど、2人の妹たちはまだ中国で、搾取的な状況に陥っている可能性も高いです。今後は政府がきちんと介入して、正式なルートでまず2人の妹の捜索を依頼する必要があります。このような状況に陥ったら、まずは地元の政府に相談してくださいと現地ではアドバイスをしました。そして、プロジェクト・チームは政府に報告し、中国の政府と連携しながら捜索すると言っていました。

しかし、目の前にいるモン族のお母さんを前に、私の心に響いたのは「このお母さんの、娘に対する思いはなんと強いことか…」ということでした。自分自身は、中国語はおろかベトナム語も話せない状況で、字も読めず、150キロ以上も離れたラオカイにバイクで行かなければならない。そして、中国国内に入ってからも1日以上の道のりをバイクで移動する道中、このお母さんの胸に去来していたものは何だったのか…。どんな気持ちで中国へ入国したのかな…と想像します。今現在、まだ中国で行方知れずの2人の妹さんの安否も気遣われます。

日本で仕事をしていると、今回のようなストーリーも「今年のケース ●人」の報告の中に埋もれてしまうのですが、現地で直接お話を伺うと、それぞれのケースの裏側にあるたくさんの涙と、心の痛み、あきらめ、希望などの感情に触れることができます。そしてその一つひとつの思いに私たちはどう応えることができるのか、それを今問われているように感じています。

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【関連ページ】

ベトナム:国情報
世界の問題と子どもたち:人身売買
チャイルド・スポンサーシップとは

この記事を書いた人

池内千草支援事業部 プログラム・コーディネーター
東北大学大学院修士課程修了後、私立高等学校にて英語講師として勤務。その後タイ王国チュラロンコン大学大学院タイ研究講座を修了。タイの東北地方の農村にて調査・研究を行い、NGOと女性の織物グループの形成をジェンダーの視点から考察した。2003年から2006年までの3年間、タイの国際機関(UNODC, UNAIDS, UNESCAP)や日本のNPOなどでインターン・コンサルタント・国際スタッフとして契約ベースで勤務。帰国後、千葉の財団法人、海外職業訓練協会にて、APEC・ASEAN域内諸国を対象とした、人材育成フォーラムや技能研修などの研修事業に携わった。2008年2月ワールド・ビジョン・ジャパン入団。2010年10月より2016年6月まで人身取引対策事業のためにカンボジアに駐在。日本に帰国後、支援事業部 開発事業第1課配属。2021年9月より休職(別組織より南スーダンに赴任)。日本に帰国後、2023年10月よりワールド・ビジョン・ジャパンに復職。
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