私が最初にチャイルド・スポンサーになったチャイルドは、ダイラニロワという名前のマラウイの女の子であった。当時の正確な年齢については記憶に定かではないが、就学前の年齢でモノクロの写真の中で、微笑んだ口元と大きな目が輝いて、きっと御茶目な子だろうなと勝手に想像していた。
私はすでに32歳に達していたので、結婚してチャイルドと同じような年齢の子どものいる友人もいた。そんな中で独身の身ながら、チャイルドはまるでわが子のような思いであった。
そして、いつでも顔が見られるようにピクチャー・フォルダーの写真をコピーし、財布の内側のカード・フォルダーの上に透明なセロハンテープを何重にもして張り付けていた。まさかスポンサーになっただけでこんなにチャイルドに対する思い入れが強くなるとは思っていなかった。
それから2週間ぐらい仕事の合間を縫って毎日のように親戚や友人に手紙を書き、自分のチャイルドの事に触れチャイルド・スポンサーシップのパンフレットを同封した。すると数人の方々がチャイルド・スポンサーになってくれたのだった。
ある友人は言った。「高瀬さん、実はずっと途上国の子どもの支援をしたいと思っていたんだ。月に4500円で子どもが支援できるならば安いもんだよね」
その後、今に至るまで7人の子どものチャイルド・スポンサーとなり、支援してきた。事情により1年程度で支援を終わった子もいれば、10年以上継続した子もいる。必ずしも支援の短いチャイルドは不幸ということもなく、逆もまた然りだ。
ただ、長ければチャイルドとの交流も深まり思い出も多くなる。「あの時のチャイルドは、今元気だろうか?」などと、ふっと思ったりもする。彼らの中には結婚して家庭を持ち子育てや仕事に奮闘しているものもいるはずだ。
そんなことに思いを巡らせているだけで、私はチャイルドたちに感謝している。環境のまったく違う者同士だが、ある一時代の時を共有し、少なくても私にとっては特別な存在であった。
ある作家が、言った。「子どもは5歳になるまでに親孝行は済んでいる。成長をしてからこどもに孝行を望むのは、親のエゴである」つまり、5歳になるまでに子が親に与えてくれた愛情、純真、生き甲斐、希望、喜びなどで一生分の親孝行は済んでいるというのだ。
私も人の子の親になってその通りだと納得している。遠くに住むチャイルドだってそうだ。今は連絡をとりあうことはできないが、心から“ありがとう”と言いたい。
この記事を書いた人
- 大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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