国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフブログ

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バングラデシュで農村開発支援 衝突通じて成長 第二の故郷に

途上国支援の世界に足を踏み入れて26年になる。これまでに訪れた国は36カ国。バングラデシュネパール、アフガニスタン、インドには計10年駐在した。

日本では想像もつかないような厳しい状況下で、一筋縄ではいかない人たちと付き合った。しかし、思い返すとなぜか顔がほころぶ。

元気よく遊ぶバングラデシュの子どもたち。全ての子どもが可能性をもって健康に生きられる世界の実現を目指している

元気よく遊ぶバングラデシュの子どもたち。すべての子どもが可能性をもって健康に生きられる世界の実現を目指している

バングラデシュの女の子

バングラデシュの女の子

特に思い入れが強いのは、バングラデシュだ。青年海外協力隊の隊員等として計5年4カ月駐在し、農業・農村開発に取り組んだ。

正直、はじめはこの国を好きになれなかった。平気で嘘をついたり嫉妬深い人が多かったからだ。現地人の上司と衝突することもあった。ある時、事業の進め方で口論になり、「お前にはもう一言もしゃべらせない」と強い口調で命令された。そこで、自分の意見を(現地語のベンガル語で)紙に書いて上司の目の前に掲げた。しばらくの間、私と上司は筆談で会話することになった。今思えば、大人げなかったと思う。しかし、その地域を良くしたいと心から願っていたし、自分の意見は正しいと思っていたからこそ、めげなかったのだ。

バングラデシュの母子

バングラデシュの母子

ただ、その後徐々に理解したのは、「その人にはその人の事情がある」ということだ。例えば、「作業効率を上げるためにここに農道をつくろう」と提案したとき、1人の農民が取るに足りない理由で、かたくなに反対したりする。たった1人のために計画が遅々として進まない。そんな時、私はこちらの主張や重要性を押し付けないようにしている。私たちにとっては「取るに足りない理由」だとしても、その農民にとっては生死を分かつほどの大問題かもしれないのだ。理解してもらえるよう最大限の努力はするが、その人にも受け入れてもらえる別の道を、一緒に探すことも重要だと気付いた。バングラデシュは、若かった私にいろんなことを教えてくれた。そして今では、バングラデシュが私の第二の故郷になった。

≪信じて即行動 学んだ「楽観主義」≫

ネパールの子どもたち

ネパールの子どもたち

高校生の頃、テレビに映し出されたエチオピア飢饉の様子を見たときから、私の「途上国支援の道」が始まった。

「この不公平はなんだ。生まれた国が違うだけなのに、なぜ画面の向こう側はあんなに悲惨で、日本では何一つ不自由のない生活ができるんだ」。怒りにも似た感情が湧き上がったのを今でも覚えている。

食べ物がないならもっと作ればいい。単純だった私は、そう思い、大学で農学部に入った。卒業後すぐにでも途上国支援に携わりたかったが、青年海外協力隊経験者やJICAに勤める先輩からのアドバイスもあり、いったん企業に就職して社会人経験を積んだ。サラリーマンとして6年間懸命に働いていた頃、奇妙な縁で応募した青年海外協力隊の選考に受かり、バングラデシュに行った。

その後さまざまな経験を経て、2005年にワールド・ビジョン・ジャパンに入団。2014年から、支援事業に携わる30人のスタッフを束ねる部長という立場で働いている。現地に行き、現地の人とやりとりしながらプロジェクトを進めることが好きな私にとって、マネジメントという仕事は決していつも楽しいものでもないし、簡単なものでもない。しかし、新しいチャレンジだ。

途上国支援という仕事は、すぐに成果が出るわけではない。貧困に苦しむ地域の問題解決に取り組む活動は時間をかければ成果が出るともかぎらない。災害・紛争地での復旧・復興支援は、自分の身も危うい環境で、積み上げてきた支援の成果が戦闘等で一瞬にして破壊されることもある。その時の無力感は想像を絶する。

支援の現場では住民との対話を心がけた(後ろ姿右から2人目が筆者)

支援の現場では住民との対話を心がけた(後ろ姿右から2人目が筆者)

日本の常識が通用しないところで働くスタッフたちに、私はあえて「楽しく仕事をしよう」と話している。問題が起こるのは当たり前で、起こってからが本番だ。とはいえ、心が折れることもあるだろう。そんな時、「思い悩まないこと。なんとかなる」という気持ちとともに、冗談等で笑いを誘うのは関西出身のせいかもしれない。

バングラデシュが教えてくれたことの一つに、「楽観主義」がある。彼らは、今日仕事をクビになったのに明日のことを思い悩まない。「なんとかなるさ」と大きく構えている。少なくとも私にはそう見えた。そして実際、なんとかなっていた。大切なのは、結果はどうであれ、今はこれをすべきだと思うことを信じて実行することだ。

世の中の変化が早く、私たちの支援もその時代や状況に合ったものが望まれる今日、従来の考えや方法にとらわれず、「今何をすべきか」を考え、思いついたら即行動に移したい。この先、どんな新しいことが待っていて、いったい何ができるのか、部員のみんなとドキドキ、わくわくしながら仕事をしていきたい。

ネパールの子どもたち

ネパールの子どもたち

※この記事はワールド・ビジョン・ジャパンの今西スタッフが執筆し、2016年1月20日付SANKEI EXPRESSに掲載されたものです。

この記事を書いた人

今西浩明
今西浩明支援事業部 部長
1983年大阪府立大学農学部農芸化学科卒業後、総合化学メーカーの日産化学工業株式会社の農薬部門で6年間勤務。同社を退職後、1989年11月より3年1カ月間、国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊員としてバングラデシュへ派遣され稲作を中心とした農業・農村開発の活動を行う。その後、青年海外協力隊調整員として3年6カ月ネパールに滞在、次いで青年海外協力隊シニア隊員として再度バングラデシュに派遣されモデル農村開発プロジェクト・協力隊グループ派遣のリーダーとして2年3カ月間、農村開発の業務に携わる。
2000年9月より米国フラー神学大学院世界宣教学部(Fuller Theological Seminary, School of World Mission)へ留学、異文化研究学修士(MA in Intercultural Studies)を取得。ワールド・ビジョン・インディアのタミールナドゥ州パラニ地域開発プログラム(Palani Area Development Program) での4カ月間のインターンシップをはさんで、2003年9月より英国サセックス大学大学院に留学、農村開発学修士号を取得する。
2004年12月国際協力機構(JICA)アフガニスタン事務所企画調査員として8カ月間カブール市に滞在。2005年9月よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、支援事業部 部長として勤務している。
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