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区切りのとき|シリア難民

シリアで内戦が始まって3月15日でまる6年になる。国際社会はシリア内戦を忘れないよう、この日をひとつの区切りとしてシリア内戦にまつわるたくさんのイベントを計画している。
教育支援事業を行うためにヨルダンに来て2年。シリア難民と接するうちに、難民にとっては3月15日よりも重要な区切りのときというのをそれぞれの心のうちに抱いていることがわかってきた。

渡邉スタッフと受益者の男の子

事業を通じて支援している男の子と筆者

たとえばある母親は、シリアを後にする前、だんだんと戦闘が激しくなる中で、クウェートに出稼ぎに行っている夫にシリアを脱出したいと電話で何度も訴えたが、義理の家族とともにシリアにとどまるようにと繰り返すばかりで、脱出の許しは出なかった。そんななか2012年12月のある日、爆弾が自宅の子ども部屋を直撃した。幸い子どもたちは無事だったが、子どもたちを守れるのは自分しかいないのだということを思い知らされ、離婚覚悟で近所の人たちと一緒にヨルダンに逃げてきた。それがこの母親にとっての一つ目の区切りのとき。
ヨルダンに来てからも長い間子どもたちを学校に通わせず、生活用品も買わずに過ごした。帰国の機会が訪れたらすぐに戻れるよう常に身軽でいるべきと、別の国で難民生活を送っている兄が忠告していたからだ。ヨルダンに来て2年が過ぎたころ、ヨルダンには自分が思っている以上に長く滞在することになるのではと考えるようになり、子どもたちを学校通わせて普通の生活を送ろうと決心した。それが彼女にとって二つ目の区切りのとき。

教育支援事業の様子

教育支援事業の様子

また別の夫婦は、2012年の9月、夫が身柄を拘束された際に虐待を受けて大怪我を負ったことでシリアを出る決心をした。それから家族でヨルダン国内を転々とし、シリアとの国境に近いイルビドという町に落ち着いた。夫の怪我は完全には回復せず、鬱々とした日々を過ごしていたが、子どもたちがワールド・ビジョン・ジャパンが実施する補習授業に参加するようになって勉強の遅れを取り戻して自信をつけていく姿を見ているうちに、徐々に将来に希望を見出すことができるようになったという。具体的に「いつ」という日があったわけではないけれど、気持ちが切り替わる瞬間が確かにあった。

希望の手形

授業で子どもたちが願いを描いた「希望の手形」。「私の夢はシリアの平和と家に戻ること」と書いた子どもも

シリア難民にとって、3月15日というのはただの数字の羅列に過ぎないのかも知れない。そう思いつつも、ヨルダン着任から3年目に入る3月22日という日を私はひとつの節目のように感じてしまっている。

世界32の紛争で難民が発生してから帰還を果たすまでに要する年数を算出したところ、2015年末の時点で平均して26年と言われている 。長い年月の間には、難民一人ひとりが人知れず心の中でさまざまな区切りを経験しているに違いない。

ヨルダンで教育支援の事業に携わっていると、シリア難民の子どもたちやその親御さんたちを通して大切なことを気づかされることがたびたびある。これからも、難民の方々の気持ちに寄り添いながら活動を続けていきたい。彼らが難民として生きなければならない期間が少しでも短くなるようにと祈りつつ・・・。

 

この記事を書いた人

渡邉 裕子
渡邉 裕子ヨルダン駐在
大学卒業後、一般企業に勤務。その後大学院に進学し、修了後はNGOからアフガニスタンの国連児童基金(ユニセフ)への出向、在アフガニスタン日本大使館、国際協力機構(JICA)パキスタン事務所等で勤務。2014年11月にワールド・ビジョン・ジャパン入団。
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