あるNGO職員とカンボジアの復興 - 雨の日風の日から22年(その1)を読む
悶々として思いで外を眺めていると、なだらかに広がるトンレサップ川の畔にお祭りのような賑わいのテント集落が目に入ってきた。一緒に現場を回ってくれたカンボジア人スタッフがここで休んで行こうと言ってくれたので、私たちは車を降りて、その集落の人ごみの中を散歩することにした。
スタッフは、生き生きした目でここの集落のことを説明し始めた。彼らは近くに住む農民で農閑期にこのトンレサップ川で「プラホック」の材料となる魚を取っているという。プラホックは、魚を塩づけにして発酵させペースト状にしたもので、魚の塩辛のようなものである。
ご飯のおかずとしてそのまま食べたり日本の味噌や醤油ように料理に使ったりするカンボジアの食生活では欠かせない一品である。農家にとって、ここでの漁は彼らの一年分の「プラホック」を確保するための大切な仕事であり、大漁ともなれば、一部を中間業者に売ったりもする。
トンレサップ川近くの農家は、乾季になると家財道具や家畜、子どもたちから番犬まで引き連れ家族総出で牛車に乗って川辺へ移動する。そして、そこでテントを張り漁のため2カ月ほどのキャンプ生活をするのである。男たちは、それぞれの網で川の畔で漁を行っている。この川のどこにこれほどの魚がいるのかと思うほど、男たちの網は大漁に揺れていた。
そして畔に設置されたテントの前では、獲った魚の内臓を処理するお母さんたちが忙しく、しかし楽しそうに働いている。そのお母さんたちの周りには、小学生ぐらい子どもたちが、赤ちゃんをあやしながら遊んでいる。さばかれた魚は、天火で干され、その場で大きな素焼きの瓶の中で塩づけにされていた。
ここでは、避難民キャンプとまったく異なり、人々は自然の恵みを家族と共に満喫し、前に向かって生きるバイタリティに満ちていた。まるで内戦前の平和なカンボジアの原風景をみているように思えた。
そしてそれは、カンボジアの人々の復興の希望として、避難民キャンプの現実に打ちのめされたていた私自身が心に刻み込むべき風景のように思われた。
あるNGO職員とカンボジアの復興 - 雨の日風の日から22年(その3)を読む
この記事を書いた人
- 大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
このスタッフの最近の記事
- 事務局2014年3月27日あるNGO職員の決断
- アジア2014年3月20日あるNGO職員の泣いた日
- 事務局2014年3月13日あるNGO職員とボス
- 開発援助2014年3月4日あるNGO職員とチャイルド