【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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私の考える難民問題 ~祖国への想いとアイデンティティ~

「つらい」と思ったとき、ふと実家や故郷の味、旧友を思いだして懐かしむことはありませんか?

はじめまして、4月に入団しました岡田です。 アメリカで生まれ育った私は、小学生の時に日本に引っ越してきました。当時、大好きだった友人たちや思い出の詰まった家、よく遊んだ秘密基地と別れることが何よりもつらかったことを今でもよく覚えています。日本に来てから考えることはいつも懐かしいアメリカの空気と文化でした。思えばこの経験が、私が「人の移動」に関心を持つようになった最初のきっかけでした。

大学生の時、タイにあるミャンマー難民キャンプでインターンをする機会に恵まれました。そこで出会ったのは、帰りたくても帰ることのできない祖国を想い続ける人々と、自分のアイデンティティ<居場所>を失わないように懸命に生きる人々でした。インターン後は、難民の生活向上支援や教育支援のボランティア(日本)、シリア・アフガン難民を中心とする難民危機対応の物資配給(ヨーロッパ)など、様々なかたちで難民支援に携わってきました。

今回は、私の経験と、難民と呼ばれる友人たちから聞いた話を元に、難民についてお話ししたいと思います。

難民キャンプで暮らす親子

難民キャンプで暮らす親子

ミャンマー難民に限らず、紛争で祖国を追われて祖国に帰ることのできない人々が、共通して口にする言葉がいくつかあります。 その一つが、「祖国に帰りたい」です。 紛争の影響を受けた人々は、家族や友人、家や財産、文化、自由、尊厳をはじめとするあらゆるものを奪われ、国内で避難生活を始めます。国外へ避難できる人々は、周辺国や遠く離れた国、あるいは難民キャンプへ避難します。しかし、一概に言うことはできないものの、多くの難民は避難先でも様々な困難にぶつかります。

シリア難民キャンプで暮らす子どもたち

シリア難民キャンプで暮らす子どもたち

幸運にもどこかの国で難民認定されても、文化の違いからホストコミュニティになじむことが難しい人たちがいます。

同じ言語を話す国に避難しても、アクセントや言葉の持つ微妙なニュアンスの違いにより、難民とホストコミュニティの間で認識のズレが生じます。食事のマナー、あいさつの仕方の違いなど、小さな文化の違いが積み重なり、難民とホストコミュニティの間で生じる誤解やすれ違い。紛争と長旅で心が疲弊しきっている難民は孤立し、ホストコミュニティはますます不安感を募らせていきます。

一方、難民キャンプでは少し違った問題をかかえることになります。

例えば、教材の不足や中等教育・高等教育の不備で学びたいことが学べず、労働も許可されない。食べ物は配給されても量や食材は決まっており、市場があってもお金がなければ好きなものを買うことができない。難民キャンプによっては、キャンプの外へ出ることが禁止され、早婚や結婚ビジネスにより自由恋愛が制限される。電気がなければ懐中電灯などで真っ暗な夜を過ごし、密集する簡易住居ではプライバシーをも制限される(例えば、屋外で男女問わずシャワーを浴びる)などが挙げられます。こういった生活環境では、必然的に文化活動も制限され、自分たちの文化を守ることさえ難しくなります。

近年、紛争は長期化する傾向にあると言われており、一時的な避難生活のはずが、気づけば5年、10年と長引いていきます。 先の見えない不安に、何もできない日々に嫌気がさして、非行に走る人もいます。 生きる目的を失った人の中には、避難先で自ら死を選ぶ人もいます。

南スーダン難民キャンプの様子(ウガンダ)

南スーダン難民キャンプの様子(ウガンダ)

想像してみてください。子どもの頃に紛争を経験し、何か望むことができるわけでもなく、不安な気持ちと辛い経験と共に残りの人生を過ごしていくということを。あるいは、難民キャンプで生まれ育ち、外の世界を知らずに生きていくということを。

30年以上続く、タイにあるミャンマー難民キャンプで、ある人は「こんな人生、みじめじゃないですか」とこぼしました。キャンプで生まれ育った、外の世界を知らない若者たちは「毎日なにもやることがない」と嘆きます。生きたいと願って祖国を逃れたはずの彼らは、避難先でも自由と尊厳を十分に得ることができないのです。キャンプを故郷だと話す多くの若者も、数十年キャンプに住み続けている大人も、「祖国に帰りたい」と話します。「祖国に帰りたい」というこの言葉には、祖国が好きだからというのはもちろん、過酷な環境下で、懐かしい故郷に、あるいはまだ見ぬ親の故郷に、自分たちのアイデンティティを求めるからだと私は感じました。

教育は彼らに居場所を与え、尊厳を取り戻し、豊かな命を育む一つの手段となります。教育を受けることで、将来仕事に就きやすくなることはもちろん、教育を通じて自分たちを知り、他者を知り、世界を知ることができます。教育現場で同じ経験や考えを有する仲間に出会う一方、多様な価値観に出会うでしょう。考える力や創造力を育み、知識・知恵・技術をもって、柔軟に社会を生き抜く術を身に付けることもできるかもしれません。

それを知っているからでしょう。私が出会った難民の多くは、口を揃えて「教育を受け、仕事に就いて家族やコミュニティを支えたい」「教育を受けて世界を広げたい」と言っていました。 事実、私の知る難民は皆驚くほど熱心に勉強します。よき人生を全うするために、懸命に生きるのです。

私はこれからも、こういった難民一人ひとりに寄り添っていきたいと思います。

シリア難民のヌールちゃん(ヨルダン)

シリア難民のヌールちゃん(ヨルダン)

 

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この記事を書いた人

岡田 航ウガンダ駐在 プロジェクト・コーディネーター
大学在学時に1年間休学し、タイのミャンマー難民キャンプでインターンを経験。大学卒業後、サセックス大学大学院(イギリス)で教育開発を専攻。平和構築と教育、難民教育を中心に学ぶ。国際機関でのインターンを経て、2017年4月にワールド・ビジョン・ジャパン入団。2019年3月末よりウガンダ駐在。2020年3月退団。
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