【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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「単なる 人助け のためだけに来たわけじゃない」~カンボジア駐在を終えて思うこと

カンボジアでの2年間の駐在が終わった。
コロナの感染拡大で幕を開けた初めての駐在、初めてのプロジェクト・マネジャーとしての任務。(関連ブログ:コロナ禍の初駐在~現場で感じた信頼関係と事業力~

地域住民の自発的な寄付・管理によって、貧困世帯の保健サービスへのアクセスを支援する「コミュニティ保健栄養基金」を設立しました(白いポロシャツを着ているのが筆者)

地域住民の自発的な寄付・管理によって、貧困世帯の保健サービスへのアクセスを支援する「コミュニティ保健栄養基金」を設立しました(白いポロシャツを着ているのが筆者)

帰国して2カ月間ゆっくり振り返ってみると、事業としても個人としても「もっとこう改善すべきだった」と反省点がたくさん見つかる。それでも、「走り切った」という言葉が真っ先に思い浮かぶくらい、可能な限り現場に通い詰め、日々目の前の活動の実施・管理に勤しんだ。

前任者が駐在していた時期から含め、計3年間の支援を通して主に以下のような成果を出すことができた:
・4回以上の産前健診を受けた妊婦の割合:61.0% → 74.0%
・三種混合予防接種(DPT3回)とはしかの予防接種を受けている12-23月齢の幼児の割合:66.0% → 84.3%
・安全な水を利用できる世帯の割合:57.0% → 70.7%
・改善された衛生設備(トイレ)を利用できる世帯の割合:59.0% → 88.29%
・最低食事水準 を満たす2歳未満児の割合:54.8% → 92.5%
*外部コンサルタントによるベースライン評価(2020年)とエンドライン評価(2023年)より

栄養改善の活動に参加した事業地の子どもたち

栄養改善の活動に参加した事業地の子どもたち

励まされる気持ちと、同時に感じた「違和感」

事業終了時には、在カンボジア日本国大使館の公使である谷内氏による事業地の訪問を受ける機会があった。住民たちが事業を通じた彼ら自身の取り組みやコミュニティ内の変化について自信をもって公使に話している様子から、大きな励ましを受けた。

義理堅いカンボジアの人々からは餞別として記念品や表彰状をたくさんもらったが、その中に記されたある言葉が強く胸に響いた。

“We are committed to sustaining these achievements for the long-term benefit of the entire community, especially our beloved children.”
(私たちはこの事業の成果を引継ぎ、コミュニティ全体、特に私たちの愛する子どもたちが長きに渡って恩恵を受けるためにコミットしていきます)

「行政関係者や住民の意識は本当に変わるのだろうか」と悩みながらも、信じてメッセージを届け続けてきた時間が、期待以上の力強いアンサーで報われた思いがした(このコミュニティは、実際目に見えて意識・行動が大きく変化した)。
「our beloved children(私たちの愛する子どもたち)」という部分が入っていたことも、すべての子どもたちの豊かないのちの享受を願うワールド・ビジョンの職員としては、これ以上ない言葉だった。

事業地の行政関係者から受け取った「Thanksgiving Letter」

事業地の行政関係者から受け取った「Thanksgiving Letter」

こうした結果や反応を見ながら、達成感よりも先に「これで、何とか終えることができたんだな…」とほっとした気持ちになることが多かった。
同時に、人々から「カンボジアに来てくれてありがとう」「あなたの“支援”に心から感謝する」という言葉をかけられるたびに、ある種の「違和感」を覚えた

それは、「自分の方がこの国、この人々から受けたものが遥かに多い」という思いがあったからだと思う。
そして、なぜそう感じたのかをさらに深掘りすると、それは仕事の枠を超えて、自分の心の奥底にある「本当に自分がやりたいこと」に取り組む機会が与えられたからではないか、と自己分析してみる。

本当に心躍る瞬間

大学院生の頃、クラスメイトと一緒に進路を悩みながら、こんな会話をしたことがあった。
「自分にとって心躍ること、心の奥底からエキサイトできることって何やろう? それを仕事にできたら良いよなー」
当時はまだ社会の厳しさ(?)を知らない青さの残る学生だったが、純粋な思いでそう考えた記憶がある。

今の自分にとって「本当に心躍る瞬間」がどういう時かを考えたとき、「人間という存在について新たな気づきを得た瞬間」ではないかなと思う。
それは、やはり自分自身が韓国人として日本で育つ中で、人間の「同じ」と「違う」について悩み、国籍とは何か、国境とは何か、社会的地位とは何か、とつらつらと考えた経験が影響していると感じる。

事業地の最貧困世帯を訪問した時の様子

事業地の最貧困世帯を訪問した時の様子

そういう意味で、カンボジアでの2年間は、まさに人間という存在についてたくさん考え、学んだ時間だった。

空き時間にスタッフや関係者たちの自宅を訪れたり、食事をともにする機会も多かったが、そこで彼らの家庭・生活の問題や苦悩を色々と聞いた。そしてほとんどの場合は、そこに放り出された人々の複雑な感情を見て、異なる境遇から来た自分がどう理解すれば良いのか分からなくなった(色んな事情で仕事を辞めたいと言うスタッフも少なくなかった…)。

中でも、ある同僚の言葉が今も頭から離れない。
「日本や他の国を見ると、カンボジアのように貧しく発展していない国に生まれたことを不幸に感じ、神に何故なのかと問いたくなる時がある」(この同僚は特に発展が遅れている地方の出身)

実際に現場で様々な問題に取り組みながらも、自分自身も決して満足のいく生活を送れている訳ではないスタッフの切実な思いに触れたとき、その場面に適した返しの言葉が見つからなかった。その時の「もやもや感」は今も消えていないが、それでも、そうした「もやもや感」と出会い、向き合っていくこと自体には価値を見つけ、時間をかけて消化するようにした。そのせいか、週末はいつも同じカフェで何時間もぼーっと過ごした。友人は、「うっかりあの店に行くと、お前のこと邪魔しちゃいそうだから行きたくないんだよ」と冗談半分で話していた(笑)。

仕事の中でも、「何で自分にとっては至極もっともな考えが通じないのか」と悩んだことも少なくなかったが、それはそれで自分にとっては「しんどいけど考え続けたい、考えがいのある悩み」だったと思う。

逆に、思いがけず住民や関係者がこちら側の要求を理解して協力してくれたり、同じ感情・気持ちを共有してくれたと感じた時は、興奮に近い喜びを感じた。

そういう意味で、事業地での人々とのコミュニケーションや観察した細微な事柄が、ある意味自分の心を常に躍らせ続けていたのかもしれない。

スタッフとの朝食の様子(筆者のお気に入りの写真)

スタッフとの朝食の様子(筆者のお気に入りの写真)

仕事の中の「裏ミッション」

事業地で仕事をしていると、「あえて外国人として振舞う」ことの必要性を感じることがある。特に、日本政府の資金を受け期間が限られた事業を管理する立場上、現地の文化・風習・関係性に入り込みすぎると先方のゲームに巻き込まれ、外国から来た自分にとっては不利に働くリスクもある。

でもカンボジアに着いたとき、勝手ながら「この2年間、どこまで心理的にカンボジア人に近づくことができるかチャレンジする」という非公式のミッション(裏ミッション?)を自分に課した。
拙いクメール語でも事業関係者や住民に話しかけるようにし、勧められたご飯は何でも食べ、冠婚葬祭に参加したこともあった。
そうした姿勢は、入団当初に出張等の機会を通じて先輩方から見て学んだことでもあった。

確かに、現地の人に近づきすぎて物事がなあなあになってしまうこともあったが、最終的には「ウイジン(筆者の名前)が言っているからやってあげよう」と、スタッフや関係者の協力を導き出せたことも多かった。
いつしか、そうした微妙な関係性のバランスを見つけることが楽しくなり、仕事の中で個人的なミッションを合わせ持っていたことで、最後まで飽きずに続けられたのかなとも思う。

冒頭の違和感の話に戻ると、カンボジアでの2年間は、こうした個人的なミッションに取り組み、事業地で心躍る瞬間を探し続けられた点で、むしろこちら側が出会った人々、迎え入れてくれたカンボジアという国に感謝したい気持ちの方が大きい。

それでも、感謝されるということは、少なくとも自分が彼らの中に何かを残すことができた証拠と捉えることもできるので、それは素直に嬉しく思う。

「必要以上に回りくどく話しといて、結局は感謝されたんは嬉しかったんかいな」と、文章をまとめながら心の中で関西人の自分がツッコミを入れている。

大好きなカンボジア、事業地のプレアビヒア州で過ごした思い出を胸に、これからも自分自身のミッションを持ち合わせて、異なる場所での挑戦を続けていきたい。

帰国直前、事業地で送別会を開いてくれた行政関係者たち

帰国直前、事業地で送別会を開いてくれた行政関係者たち

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この記事を書いた人

李 義真バングラデシュ駐在 プログラム・コーディネーター
大阪大学法学部卒、東京大学公共政策大学院CAMPUS Asiaプログラム修了。その後、約半年間の民間企業での勤務を経て、2018年10月にワールド・ビジョン・ジャパンに入団。2021年2月から2023年4月までカンボジア駐在。2023年7月からバングラデシュ駐在。
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