【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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[ルワンダ] 虐殺の武器としてのHIV ~母子感染によってHIVを持って生まれた少女、マリアちゃん (パート2)

 [ルワンダ] 虐殺の武器としてのHIV ~母子感染によってHIVを持って生まれた少女、マリアちゃん (パート1)からの続き

すると、思いもかけない答えが帰ってきた。
「暴行をした相手のことをはじめは憎みました。でも、憎しみを持っていたら苦しいだけ。心が痛いだけだった。それで相手を憎むことをやめました。彼を赦すことを選びました」

人生が終わったと思うほどの痛みを受けて、その相手を“赦す”という。一体どうしたら、そんなことができるのか?

「ジェノサイドでたくさんの命が奪われました。でも私は、神様の恵みによって生かされています。神様は、私が憎しみを持って生きるより、赦して、愛を持って生きることを喜ばれます」

お母さんは、悲しみを乗り越え、憎しみを持たず、愛をもって生きることを選んだのだ。

生き残った命をつなぐために、今、日本からできること。

マリアちゃんに将来の夢について聞いてみた。
「お医者さんになりたい」

生まれてから一度も健康だった日はない。
その気持ちがわかるからこそ、病気の人の役に立ちたいのだという。

最終日、首都キガリにある虐殺記念館を訪れた。
ジェノサイド当時の凄惨な様子をおさめた写真や、被害者の骨が陳列された館内は静かで冷たく、息苦しさを覚えるほどだった。

順路を追って歩くと、犠牲となった子どもの写真が並べられた部屋に入った。
生まれたての赤ちゃんから、小学高学年くらいの少年まで十数人の写真が、名前や生前の様子を収めたプレートと共に飾られている。

ルワンダ虐殺記念館にて撮影。10歳で命を落としたデイビッドくん

ルワンダ虐殺記念館にて撮影。10歳で命を落としたデイビッドくん

中で一人の少年の写真が目にとまった。
デイビッドくん 10歳。夢はお医者さんになること。
人を笑わせるのが好きな明るい男の子だった。

22年前ルワンダのジェノサイドによって、
たくさんの子どもたちの夢が、命とともに消えていったのだ。
それを思うと、館内で震えが止まらず、一秒でも早くここを出たい思いがした。

しかし、それと同時にルワンダに来て出会った子どもたちの顔が次々と浮かんだ。
貧困に負けず、病に負けず、たくましく生きている子どもたち。
みな、今を懸命に生き、夢を抱いて生きている。

ルワンダの女の子と筆者

ルワンダの女の子と筆者

ルワンダ大虐殺によって失われた命を取り戻すことは出来ない。
でも、失われた命を前に、何も出来ないのではない。
今、日本からできること。
それは、大虐殺を越えて、生き残った命を、つないでいくこと。
今を生きるルワンダの子どもたちの夢を支えていくことだ。
そう気が付くと、心に一筋の光が灯る思いがした。

22年前、デイビッドくんが抱いた夢を、
いつか、今を生きる子どもたちが叶える日が来ると信じて。
私たちはルワンダでの支援を続けていく。

帰国の時、出発前に抱いた「ルワンダに行きたくない」という気持ちは、すっかり消えていた。
大虐殺を生き抜いたこの国の人々の優しさと強さに触れ、「絶対に忘れられない思い出」がまた一つ増えた。

チャイルド・スポンサーシップ課
山下泉美

[ルワンダ] 虐殺の武器としてのHIV ~母子感染によってHIVを持って生まれた少女、マリアちゃん (パート1)

チャイルド・スポンサーシップ

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【奇跡の国、ルワンダ】 ~内戦・虐殺を経て育つ「平和の木」~

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この記事を書いた人

WVJ事務局
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NGOの仕事の裏側って?やりがいはどんなところにあるの?嬉しいことは?大変なことは?スタッフのつぶやきを通してお伝えしていきます。
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