書くのをためらったが、現状をお伝えするために、事業の調整のために訪れた学校で出会った男の子の話をしたい。
校長室で、先生と事業について相談していたところ、小学校3、4年生くらいの男の子と、お母さんが現れた。
おもむろに、校長先生が厳しい顔でお母さんと話をしはじめた。
すぐ終わるだろうか、とのほほんと待っていたら、校長先生が引き出しから大きなナイフを取り出した。
校長先生はそのナイフをお母さんに見せ、厳しい口調でなおも話を続ける。お母さんも厳しい口調で色々応答している。
正直生徒に関する話は、私たちのような部外者がいないところでするべきと思いながら、席を立つにも立てない状況で、ちらっと男の子を見ると、その間始終おとなしく座っていた。
こぶしを固く握り締めて、腕をピンと伸ばして、校長室の少し大きすぎる椅子に、小さく収まっていた。緊張しているようではあったが、決して泣いたり、感情的ではなかった。眼鏡越しの目は、静かに遠くを見ていた。まるで彼だけが違う世界にいるようで、私が知っているどんな小学生よりも、大人びていた。
彼は校長室にいる間、取り乱すこともなく、その時間が終わるのを待っていた。頬に赤みがあって、まだあどけなさが残る顔と、その大人びた様子は、私の目にはとても不自然に見えた。
親子が帰った後で、こっそり校長先生に、何があったのか聞いてみた。
シリア人の親子で、男の子はあの大きなナイフを学校に持ってきて、ほかの生徒に向けて振り回したのだという。「自分を守るため」と彼は言ったらしい。
私が小学校の時には見たこともない、大きくて重いナイフだった。
彼の心に何が起こっているのか、本当に自分を守るためだったのか、誰がそんなナイフを彼にあげたのか、はたまた自分で手に入れたのか、私には知る由もないのだが、そんなナイフを持って学校に来なくてはいけない事実は、衝撃だった。
「子どもらしさ」とは何なのだろう。
よく笑い、よくはしゃぎ、色んな事に興味津々なのが、いわゆる「子ども」なのだろうか。
彼のように、物静かで、大人びた子どもだっているだろうし、色々な悩みを抱えた子だっているだろう。(というか子どもは大抵大なり小なり、悩みを抱えているものだと思う)
自分の思う「子どもらしさ」を型にはめて、一人ひとりをカテゴライズすることはしたくないと思う一方で、例え罰を逃れるための言い訳であったとしても、「自分を守るために」という理由でナイフを持ってくるような、ギリギリの心は、どうしても子どもの本質ではないのではないか、と思ってしまう。
こういう状況にぶち当たった時に、「これ!」という即効薬はない。少なくとも、私には思いつかない。しいて言うなら、親、家族、友達からの愛なのかもしれない。
私が今すぐできることは、この子をはじめとする、たくさんの子どもたちを覚えて、祈ることしかない。少しでも早く、子どもたちが安心して遊び、学べる場所を提供できるように、頑張ろうと思わされた出来事だった。
この記事を書いた人
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イギリス、マンチェスターメトロポリタン大学にて政治学部卒業。
大学在学中にWFP国連世界食糧計画にてインターン。
2010年9月より支援事業部 緊急人道支援課(旧 海外事業部 緊急人道支援課)ジュニア・プログラム・オフィサーとして勤務。2012年9月よりプログラム・オフィサーとして勤務。2016年7月退団。
趣味:読書、映画鑑賞、ダイビング
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