4月、出張で初めてカンボジアを訪れ、30年近く前にこの国ではクメール・ルージュによる大虐殺が行われ、目に見えるものも、目に見えないものもすべてものがずたずたに破壊されてしまったことを知りました。
現地のスタッフとのやり取りの中で、私と同世代のスタッフが、小学校にも入らないような年齢で、家族から離され、収容所で集団生活をしながら、強制労働をさせられていたこと、内戦が終了して、しばらくの間難民キャンプで生活していたこと、満足な教育を受けられないまま大人になってしまったこと・・を知りました。
5月にワールド・ビジョン・カフェで、その時の経験を皆さんに聞いていただく機会があり、私にとって、特別な国の一つになっているカンボジアです。
そして現在、外務省の研修でカンボジア、タイに滞在しています。
先日、研修の合間にタイ国境に程近い、バッタンボン州の村に行く機会がありました。
カンボジア事務所のスタッフから、この地域住民から、学校を作ってほしいという強い要望が出ていると聞いたからです。
バッタンボン市は、クメール・ルージュが最後まで政府軍と戦った激戦地で、多くの地雷が埋められ、当時、町の建物はすべて破壊されたと聞きました。そのバッタンボン市からでこぼこ道を車で3時間。森を切り開いて作られた開拓地で、砂埃が舞い散る、何もない村に案内されました。
いくつもの事業地を見ている現地のスタッフが、目に涙を溜めて「本当にひどい学校なんだよ・・」と言って案内してくれた、かつての学校は、薄暗い小さな納屋のようなところで、半分が鶏小屋として使われているので、子ども達の頭の上を、鶏がカカカカカカといいながら飛び越えていたそうです。
一つの小屋では子ども達が入りきらず、10メートルほど離れた別な小さな納屋に、半分の子ども達は通っていたとのこと。
ここに、朝・昼・晩と3回制とはいえ、500人もの子どもが通っていたのか・・・・・と衝撃を受けました。校庭として使われるはずの土地は、かつて地雷が埋めつくされていたという話にも胸を打たれました。(現在はすべて撤去されています)
カンボジアでは、現地で必要とするものをワールド・ビジョンが提供するのではなく、地域の住民が自分たちの力で問題を認識し、解決策を模索できるような新しいアプローチで支援を行っています。
今回の学校建設も、地域の人たちが「カンボジアの将来のためにはきちんとした教育が必要だ!」と気づいて、自分たちでお金を集め、土地を買い、小さな仮校舎(これでもまだまだ500人の子どもを収容するのは不可能です)を建てたことで、ワールド・ビジョンのカンボジア事務所が動きました。
近隣村から通う500人の子ども達が、国の基準に則った2回制の授業が受けられるような校舎が作りたいのです。薄いベニヤ板のパーテーションで区切られた、隣の教室の声が丸聞こえの教室ではなく、子ども達が集中して授業を受けられるような教室のある校舎を作りたいのです。
人々の熱意にググッと心が動かされた一日でした。
この記事を書いた人
- 東北大学大学院修士課程修了後、私立高等学校にて英語講師として勤務。その後タイ王国チュラロンコン大学大学院タイ研究講座を修了。タイの東北地方の農村にて調査・研究を行い、NGOと女性の織物グループの形成をジェンダーの視点から考察した。2003年から2006年までの3年間、タイの国際機関(UNODC, UNAIDS, UNESCAP)や日本のNPOなどでインターン・コンサルタント・国際スタッフとして契約ベースで勤務。帰国後、千葉の財団法人、海外職業訓練協会にて、APEC・ASEAN域内諸国を対象とした、人材育成フォーラムや技能研修などの研修事業に携わった。2008年2月ワールド・ビジョン・ジャパン入団。2010年10月より2016年6月まで人身取引対策事業のためにカンボジアに駐在。日本に帰国後、支援事業部 開発事業第1課配属。2021年9月より休職(別組織より南スーダンに赴任)。日本に帰国後、2023年10月よりワールド・ビジョン・ジャパンに復職。
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