以前、まだ幼かった我が子を連れて外出すると、子どもに吸い寄せられるように近づいて来て、あやしたり話しかけてくださるご婦人にしばしば遭遇しました。当時は常にずっしりと重い我が子と、着替え・おむつ・飲み物等の詰まった大きなバッグを抱え余裕がなかったせいか、そのようなご婦人に出会っても、「子ども好きな方だなあ」と感じるだけでした。しかし、その後、数年が経ち、我が家の3人の子どもたちが全員小中学生になってみて初めて、幼い子どもに吸い寄せられるご婦人の気持ちが私にもわかるようになってきました。
子どもの存在、特に笑顔は、人を引き付ける魅力を持っています。自分の子どもだけでなく、近所や教会の子どもたち、また仕事を通して出会う国内外の子どもたちの笑顔を見るとき、そのまぶしい「光」は私の心を照らしてくれます。
大人には当たり前のような小さな発見にも大喜びする笑顔、美味しいものを食べて満足した笑顔、遊びの中で見せる生き生きした笑顔、そして親や友だちとの交わりの中で見せる安心しきった素直な笑顔。。。子どもたちの毎日は、こういうキラキラの笑顔で満たされていて欲しいものです。
しかし現実には、紛争や貧困、また最近は日本でも増加している虐待等の様々な悲しい理由により、笑顔になれない子どもたちが大勢いることを、この職場で働いていると思い知らされます。そういう現実を知るのは辛く、できれば見ない、知らないで済ませたかったと思うこともあります。でも知ってしまったからには、一人でも多くの子どもに笑顔を、「光」を取り戻して欲しい。それが、私がこの職場で働き続ける動機になっています。
最近ある一人の女の子の笑顔に、特に心を動かされました。その子は、武装勢力によって3年間占拠されていたイラク北部の町モスルで暮らす8歳のティナちゃん(仮名)です。
ティナちゃんの父親は武装勢力との紛争中に適切な医療を受けられず亡くなり、ティナちゃんは祖母と母親と3人で暮らしていました。紛争が激しくなった昨年、武装勢力によって家の近所に無差別に打ち込まれる砲弾の音におびえたティナちゃんはパニックになり、家の2階から飛び降りてしまいました。この時のケガが原因で、ティナちゃんの体には麻痺が残り、歩くことができず寝たきりになってしまっていました。
寝たきりの生活で、体に床ずれもできてしまっていたティナちゃんの存在を知ったワールド・ビジョンのソーシャルワーカーは、ティナちゃんの家庭を訪問し、車イスや医療用マットレス等の備品の支援を行いました。車イスに座るティナちゃんの笑顔を見たときに、私たちの支援活動がティナちゃんの悲しみや苦しみをすべて解決できた訳ではないとしても、彼女をこの瞬間笑顔にしてあげられたことを、心から嬉しく思いました。
ワールド・ビジョンの創設者 ボブ・ピアスが「“何もかも”はできなくとも、“何か”はきっとできる」という言葉を残しています。本当にその通りで、一人ひとりにできることは限られています。でも、”何もかも”はできないとしても、一人でも多くの子どもたちが笑顔を、「光」を取り戻すことができるように、できることをしたいと思うのです。仕事を通して、個人としてのチャイルド・スポンサーシップによる支援を通して、また自らの生活の中で、私にできる“何か”を続けていきたいと思っています。
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【関連ページ】
・チャイルド・スポンサーになる
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この記事を書いた人
- 大学卒業後、公益財団法人にて海外からの研修員受け入れ業務に従事。その後JICAに入団し、工業分野の技術協力プロジェクトの企画運営管理、在外事務所の総務・広報、本邦研修の企画運営管理等のODA業務を担当。出産を機に退団し、3児の子育てに専念した後、2014年にワールド・ビジョン・ジャパンに入団。チャイルドの成長報告や募金業務を担当する中で、NGOの働きを支えてくださっている支援者の方々の温かい「想い」に触れる。2018年4月より、中東地域の難民・国内避難民への支援業務を担当。2019年10月退団。
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