【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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ケニアで思ったこと(業務編)

ツルカナの子どもたち この後デジカメの使い方を見せると自分たちの写真を撮りあって笑っていた

ツルカナの子どもたち
この後デジカメの使い方を見せると自分たちの写真を撮りあって笑っていた

ケニアに出張で行ってきました。
僕は軽い旅行エッセーを読むのが好きですが、今回のブログは業務編なのでケニアでの仕事中に考えさせられたことについて書きます。

以前にブログに書きましたが、僕はワールド・ビジョン(以下WV)がWFP(国連世界食糧計画)と一緒に行っている事業の担当をしています。今回の出張の目的の1つがケニア北部のツルカナ県という所で行われているWFP事業の現場に行くというもので、個人的なランキングを付けるとしたらそれに一番思い入れがありました。(もっとも仕事なので思い入れに関係なく全部出来る限り誠実にしますが・・・)

ツルカナでは食料配布に付き添う、子どもの腕の太さを測る(健康状態を見るため)、倉庫に管理されている食料を数える、住民の人たちの話を聞く、WVケニア・スタッフに面と向かって沢山質問をする、などの普段東京で出来ない仕事をしました。ケニア北部の乾いた大地に住む人たちと話し、生活を垣間見たことによってWFP事業で食料支援を受けるということは人々のカロリー摂取量が増える以外に何を意味するのかということを考えさせられました。

食料が配布されるということは受け取った人や家族が食べることが出来る、人命が保たれる、苦しみが削減される、という人の尊厳を保つ行為であるべきです。しかし場合によって食料を受け取らないと生活できない家族を養えないという依存状態につながり、受け取る側にとっては屈辱的な思いや自分は何も出来ないという思いを植えつけてしまう尊厳を傷つける行為になる危険も持っています。そのため単に食料が配布されたからよかったというわけではないのです。

人びとのおかれている状況や環境が違うのでこれに従えばよい食料支援になるというレシピはありませんが、ケニア北部で「いいな」と思う事業を1つ見ることが出来ました。その事業は住民たちが雨水を農作に利用する設備を作りたいという意思表明をしたところから始まり、住民がその設備を作る労働力を提供するにあたり、食料が労働の代価として払われるという事業です。その結果、住民が「自分たちがこの設備を作ったんだ、自分たちの物なんだ」という思いと誇りを持った事業となっています。満足そうに話す住民の声を聞いて大変励まされるとともに、受益者のおじさんが言った「自分たちも何かやらなければ解決しない」という言葉が頭に残っています。

PS もしツルカナ(発音的にはトゥルカナ)を訪れることがあれば、多分ロドワーという町に一度は泊ることになると思います。その場合Nawoitorong Guest Houseというところをお勧めします。地域の女性のグループが経営しているらしいのですが、建物は全て地域で取れるもので出来ているらしく一応シャワーも電気もあるし食事もおいしいし(WVケニア・スタッフいわく町で一番まとも)とても感じがよかったです。ただ町はずれにあるので車なしだといけないかもしれません。

この記事を書いた人

三浦 曜バングラデシュ事業担当 プログラム・オフィサー
米国Washington and Lee大学理学部化学科卒業。在学中にケンタッキー州の都市貧困にかかわるNPOでインターンをした事でNPOの働きに興味を持つ。一般企業で勤務後、帰国し2008年9月にワールド・ビジョン・ジャパンに入団、支援事業部緊急人道支援課に配属となる。2009年から2011年までスリランカ駐在、2013年から2015年5月まで東ティモール駐在。2015年8月に退職し、ロンドン大学公衆衛生学・熱帯医学大学院でMSc. Public Health in Developing Countries(途上国における公衆衛生)修士号を取得。2016年10月に再びワールド・ビジョン・ジャパンに入団、支援事業部開発事業第2課での勤務を開始。現在、バングラデシュ事業担当。2018年3月退団。
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