昨年の2月のバングラデシュへの出張時に、12年以上前に私が支援していたチャイルドに会うことができました。この子はミナという女の子のチャイルドで、2000年までスポンサーをしていました。しかし、私が留学するためいったんスポンサーを止めたため、その後どうなったかは知りませんでした。その後、再度スポンサーになり、別のチャイルドを支援していましたが、あのミナはどうなったが知りたくなりました。
それで事務所で調べてみると、2004年に結婚のためにドロップ(チャイルド側の都合でチャイルドでなくなる)していました。その地域の支援活動は続いているので、なんとか現地事務所に所在を調べてもらうと、近くに住んでいるとのことで、この時の出張時に会うことができました。その時、彼女は2人の男の子のお母さんになっていました。彼女はドロップ時の2004年の結婚時には14歳でした。そして、そのために7年生で学校に行くのもやめてしまったとのこと。
支援地域で女の子の早婚はやめるように啓発活動をしているワールド・ビジョンにとっては、これは非常に由々しき問題です。話を聞くと、ミナの祖父が生きている間に孫の花嫁姿と一目見たい、そして、その時にいわゆる持参金(法律では禁止されていますが、社会習慣として依然として行われている)にするお金があったので、結婚させたとのこと。しかし、よりによって、チャイルドが早婚なんて・・・・・それで学校も止めるなんて・・・。これは、完全にチャイルド・スポンサーシップの大失敗ではないか・・・。いくら、おじいさんが望んだとはいえ、何とか早婚を防げなかったのか!? 私は、何とも言えない気持ちになりました。
しかし、続いてミナが私に話してくれたことは、私にとって大きな励ましとなりました。
彼女は、確かに早婚で学校をやめてしまいましたが、2年前からオープン・スクールという政府が週末に運営している学校へ行き始めたというのです。これは、ミナのような途中で勉強をやめてしまった人たちのための学校とのことです。この学校へ行きたいと思った時には、夫やその両親は反対したそうです。バングラデシュの村落部で、嫁が子どもがいるのに学校へ行きたいなどということは、とんでもないことです。
しかし、ミナはこの家族を説得して学校に行けるようになりました。それどころか、今は学校で必要な文房具を買う費用も出してくれているとか。ミナに将来のことを聞くと、10年生仮修了時にある全国統一卒業試験に合格したい、そして、自分の村の周りの子どもたちに教えたいとのこと。そして、もちろん自分の子どもたちにもできるだけ勉強させてやりたいと言っていました。
確かに、ミナだけだと早婚によって、彼女の教育を受ける機会は途切れてしまいました。しかし、スポンサーシップを通じて彼女に宿ったそのスピリットは、時がたっても消えず、再度彼女に勉強をしたいという気持ちを起こさせ、その気持ちは次の世代に続いていくのではないでしょうか?
具体的には、支援期間だけしか確認できないことかもしれません。しかし、チャイルドであった子どもたちが父親母親になった時、彼らの子どもたちやその地域の子どもたちに、目に見えない大きな影響を与える存在になっていくのではないでしょうか?
世代を超えて受け継がれるスポンサーシップのスピリッツを見たような気がしました。
この記事を書いた人
-
1983年大阪府立大学農学部農芸化学科卒業後、総合化学メーカーの日産化学工業株式会社の農薬部門で6年間勤務。同社を退職後、1989年11月より3年1カ月間、国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊員としてバングラデシュへ派遣され稲作を中心とした農業・農村開発の活動を行う。その後、青年海外協力隊調整員として3年6カ月ネパールに滞在、次いで青年海外協力隊シニア隊員として再度バングラデシュに派遣されモデル農村開発プロジェクト・協力隊グループ派遣のリーダーとして2年3カ月間、農村開発の業務に携わる。
2000年9月より米国フラー神学大学院世界宣教学部(Fuller Theological Seminary, School of World Mission)へ留学、異文化研究学修士(MA in Intercultural Studies)を取得。ワールド・ビジョン・インディアのタミールナドゥ州パラニ地域開発プログラム(Palani Area Development Program) での4カ月間のインターンシップをはさんで、2003年9月より英国サセックス大学大学院に留学、農村開発学修士号を取得する。
2004年12月国際協力機構(JICA)アフガニスタン事務所企画調査員として8カ月間カブール市に滞在。2005年9月よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、支援事業部 部長として勤務。
2021年3月退団。
このスタッフの最近の記事
- アジア2019年12月2日第2の故郷、バングラデシュでの驚き~支援によってもたらされた一番の変化とは?~
- アジア2016年12月13日ヌルジャハンとの出会い
- アジア2016年2月25日バングラデシュで農村開発支援 衝突通じて成長 第二の故郷に
- アジア2015年12月18日「今、私にできること」~”何もかも”はできなくとも、”何か”はきっとできる~